見出し画像

『Westmead公立病院入院回顧録 ⑨』

目が覚めるともうICUだった。

えーーーっ、と思うかもしれないがそりゃそうである。心臓手術の一部始終を切られている患者が覚えているわけがないではないか。人工心肺までグルんグルん(かどうかは知らんが)回して手術してるのに。

人工心肺なんてドラマでその名を聞くだけで、実際どんなものか全然分からない。というわけで写真を参照してほしい。そうだろう、写真をみてもよく分からない。しかしとにかくしばらくの間心臓と肺の代わりをしてくれるのだから、とにかく重要な装置であることは間違いない。ありがたやありがたや、である。(日本では現在約6割が人工心肺を使わずに手術をするらしいが、ここではフルに使ってのオぺだった。手術については右を参照→ http://www.jacas.org/topic/index.html )

バイパスは2か所作ったらしい。左脚の付け根からグラフト(大伏在(だいふくざい)静脈←脚の内側をくるぶしから付け根まで走る静脈)をとってそれをバイパスにしたみたいだ。だから脚にも3か所縫い跡がある(これがまた痛い)。

この部分を切るのに昨夜の剃毛職人のお兄さんがやってきたわけである。ちゃんときれいにしていてよかったよかった。特に褒められたりするわけではないが、うざいと思いながら作業されるよりましだろう。まあおっさんの脚とかどっちみちうざいにはちがいなかろうけども…。その点はなんか申し訳ない。

さて、なにせ、4か所の血管の詰まり具合のうち2つは99%と95%だったそうで、あとほんのちょっとでハートアタックが起こっていたらしい。だから今回本当に文字通り「命拾い」をしたのだ。

「xx拾い」で有名なのはダントツでパリのオルセー美術館にあるミレーの「落穂拾い」だと思うが、ミレーって何?という人に説明するつもりは毛頭ない。

落穂拾いなんかよりゴミ拾いのほうがポピュラーに決まっているじゃないか!と主張する人もいるかもしれない。まあそうかもしれない。しかし議論するつもりも喧嘩するつもりも仲直りするつもりもない。

そういえは豊臣秀頼の幼名は「ひろい」だったと思う。漢字をあてていたかどうかわからないが、そんな名前だった。

話を戻そう。

俺の場合だが、もしかすると状況が悪すぎたためにパブリックでもERで早急に処置をしてもらえたのかもしれない(パブリックはとにかくものすごく待つ、と聞かされていた)。だとすれば、なにはともあれ、俺はとても運が良かったということだ。

手術の時間はどのくらいだか分からない。なぜなら俺はずっと寝てたから。誰かが付き添ってくれていたわけでもないからチェックしてもくれていない。目が覚めたときに特に気になって聞いたわけでもなかった。だから「10分で終わった」と言われたら「ああ、そうなの」と納得しただろうし、「3日かかった」と言われたら「ああ、そうなの」と納得しただろう。「4カ月かかった」と言われたらさすがに「またまた~」と言って笑ったかもしれないが、そんな冗談を言うドクターはまあどこにも居ないだろうし、俺の方にも実際笑う元気があったとは思えない。

目が覚めたときのことは何にも覚えていない、というのが本当のところだ。どうやって目が覚めたか全然覚えていない。目が覚めたときの第一声が何だったのかも覚えていない。最初に見たものを母親だと思い込むというが、特に誰かを母だと思った記憶もない。

Yくんが来て写真に残してくれているから、ああこんな感じだったんだな、となんとなく分かるけど自分では全く思い出せない。

ICUはその朝まで居た病室より広い個室だった。しかしなんせ身体の自由が利かないし、とにかくあっちもこっちも痛いから部屋の広さを楽しむ余裕は1ミリもなかった。

特に嫌だったのがナースの人が促す寝返りだ。右を下にされるときはまだましだった。しかし、左を下にして寝ろと強制されると味わったことがないほどの痛みを数時間ずっと堪えていなければならない。もちろん眠れるわけもない。涼しい顔をして寝返りを強いてくるナースの人には仕事人の中村主水を差し向けたいくらいだった。どこがどう痛かったのかもう細かくは覚えていないが、とにかく痛くて痛くてずっと苦しかったことは覚えている。

それに痛かったら痛み止めをさらに要求できるということを知らなかったもんだからバカ正直にただただ忍の一文字を貫いた。

採血もひたすら続いた。まだ血がいるのかよ、と思いつつも、どちらかといえばもう好きなようにしてくれ、という投げやりの気持ちが強かったように思う。何度も何度も針を刺された。でも繰り返し刺したからと言って痛みに慣れるわけではない。痛いものは何度やっても痛いのだ。うんざりだった。

それに、こんなに身体が動かないのか、と自分の身体なのに全然思い通りにならないことにも驚く。寝ている状態から身体を起こすのも大変だし、ベッドから降りて脇の椅子に座るだけでおおごとだ。尿に関しては管が装着されていてトイレには行かずに済んだように思う。外された後はトイレに立つのも大冒険だった。フラフラしているのでまっすぐ立って歩けない。こける可能性を考えたら恐ろしくて一歩足を出すのも慎重になる。

心臓をいじるのに胸の真ん中にある肋骨をバッサリ切断してこじ開けているわけだが、こけた拍子にとめた肋骨がずれて大惨事になったなんていうのはシャレにならないだろう。考えただけでも恐ろしい。今でもこけるのだけは勘弁して欲しいと願いながら歩いている。

ICUには結局3晩いた。

『Westmead公立病院入院回顧録 ⑨』

英語圏で書道を紹介しています。収入を得るというのは本当に難しいことですね。よかったら是非サポートをお願い致します。