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心中| 何者でもないことが苦しいという話

大きくなったらアイドルになる! 大きくなったらプロ野球選手に! 
そんな夢を誰もが一度は持ったことがあるだろう。かく言う私も、子供の頃は「アクターズスクールに入って踊れる歌手になりたい」と母によく言っていた。中学生になれば「漫画家になりたい」「音楽家になりたい」そんな大きな夢をいつも心に持っていた気がする。

しかし、実際はどうだろう。どれだけの人がその夢を叶えることができたのだろう。

私は高校生になると、自分には歌の才能も、楽器の才能も音大へ進学する余裕も、絵の才能だってないことにもとっくに気づいていた。また、夢を語るのは自由だが、自分の将来の生活や一生働けるかどうかまで考えなくてはいけないことを自覚し始めて、いつの間にか「夢は大企業だったらどこでもいい」なんて考えるようになっていた。

私は、この世に爪痕が残せるような何者かにいつもなりたかった。それは承認欲求が強かったせいもあるかも知れないけれど、何でもいいから世の中に認められたかった。

高校生の終わり頃には家庭環境がガラリと変わり、すっかり現実主義になってしまった私。もう人生どうだっていいと思っていた時期で、「大企業に入る」ことすら烏滸がましい夢だったと気づき、ついに自分を完全に見失ってしまった。

大学受験も、将来なりたい職業が特になかったので、勉強に力を入れることもせずに地元の女子大の興味があった分野へ進学した。大学生活は大変楽しいものだったけれど、最初からモラトリアムだと割り切っていたので、将来について考えないようにしていた。考えれば考えるほど、自分は何者にもなれない、ただのモブなのだと思い知らされるからだ。

とうとう心が死んだのは、就活が始まってからだった。
皆似たようなスーツに髪型。グループ面接で言ってることも大体同じ。面接官だってすごくつまらなさそう。とにかく、とにかくこの時期の就活に良い思い出は一つもない。不況で氷河期再来かと思われるような状況で、学生は個性を殺して、喜んで駒になります!と尻尾を振らなければ内定はもらえなかった。

結果的に、私はモラトリアムを謳歌し就活準備を怠ってきたこともあって、内定は一つも貰えず、図らずも人生の分岐点に立つのだった。

しばらくして、私は何者になれなくても何か形に残せる仕事がしたいと考えるようになり、本当に自分の学びたいことをスキルとして身につけて就職しようと、アルバイトを掛け持ちしていた。

週末になるとすでに新卒として入社した友人らと頻繁に飲み会を行ったが、フリーターも同然の私は話についていけず居心地が悪く、私は何にもなれなかったんだな。といつも胸が締め付けられるようだった。

そこから数年、私はブラック企業に勤めて痛い目を見たり、働きながらスクールに通って勉強することでようやく自分の興味のある職種で働けるようになった。とは言っても、専門職なのでアルバイトで一年ほど下積みをして、転職して正社員になったのだが、これはまた別の記事に書いてあるのでぜひ読んでみてください。

そして、社会人になって約十年。仕事で肩書きをもらったりしてようやく心おだやかな日々が過ごせるようになった。

それでも、たまに心の中に私は何者でもないんだな、と寂しくなる気持ちが生まれる。

形を残せるものづくりという仕事は自分に合っているけれど、たまに私は自分のことを誰かに知ってほしいと叫びたくなる時がある。これでも十代、二十代の頃に比べたらかなり落ち着いたが、やはり誰かにとっての何者になりたいのだ。

ある日、転機が訪れた。

恋人と同棲をするようになり、恋人にとって自分が認識されているのが嬉しくて、誰かの何者かになりたいという気持ちが落ち着いていったのだ。そして、家族がかけがえのないものだと感じるようになり、段々と私の大切な人にとって恋人であり、妻であり、娘であればそれでいいと何者かになりたい気持ちが急速に薄れていった。

これが歳を重ねるということなのだろうか。世の中の人には多かれ少なかれ「何者かになりたい」と思っている人がいることはSNSなどでも知っている。皆、どのように折り合いをつけて生きているんだろう。私は気持ちが落ち着いたものの、やはり誰かの何かになりたいという気持ちは少なからずあるようで、だからこそこの文章を書いているのだと思う。

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