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鎌倉時代の僧侶から受け取った、悩める者へのアドバイス

信長の命を受け、秀吉が作ったとされる大徳寺黄梅院。ここのお庭で、ぼくの人生のターニングポイントになった、ある書を見つけた。それは、約700年前に大徳寺を開山した僧侶の言葉だった。


2018年の秋、ぼくは、千利休が作庭した枯山水、黄梅院直中庭(じっちゅうてい)に向かっていた。

直中庭の門をくぐると、一面に苔が生い茂り、青々とした緑が静かに来館者をもてなした。特に前提知識も無く、京都観光のついでにふらっと入ったお寺が、この大徳寺黄梅院だった。このお寺に関わった織田信長、豊富秀吉、加藤清正などの名武将の名に少々驚きながらも、リラックスして縁側に腰を下ろした。

後ろを振り向くと、額縁に飾られた書が、ふと目に入った。

「自休」と大きく書かれている。その隣には現代語で説明が足されていた。


自休

自ら立ち止まって真剣に物事に対していくこと。一考すること。

大徳寺開山大燈国師

一度しかない人生、一つしかない私、後悔しない人生であるためにも一度しっかりと座り込んで過ごす日がこれからやって来るでしょう。
日々のことを見すえてゆけば、親とか師匠、先輩方の助言ではなく自ら自発的に立ち向かってゆけば良いのです。幸福は待っていても得られるものでもなく、他人から与えられるものでもない。親がコップで運んで来てくださっても飲むかどうか決めるのは自分なのです。


この「自休」という言葉は、鎌倉時代に大徳寺を開山した大燈国師の言葉だ。

ぼくは当時、道に迷っていた。

誰に言われるでもなく、小学生の頃から真面目を装い、暗記だけのテスト勉強を頑張った。中学では、怒鳴り散らすバスケ部顧問との出会いから、目上の人の顔色をいつも伺うようになった。普通の大学を出て、大企業に入社した。朝から晩までの拘束時間との引き換えに、給料をもらうIT企業のマネージャーという仕事に堪え兼ね、鬱になり、四年目で辞めた。

その年の秋、ぼくはこの「自休」に出会った。

鎌倉時代の人々も、きっと自分の人生に悩むことがあったのだろう。その言葉は、時を超えて、ぼくの心に優しく沁みた。

適材適所と言われるが、自分の材(何が好きか、何ができるか)が分かっていないと、適所へは進めない。他人に適所への道を委ねてしまえば、きっと自分の生涯に納得できないだろう。

あれから一度立ち止まり、ゆっくりと自分を見つめ直した。そのおかげで、今は鬱も治り、イラストレーターとして挿絵を描いたり、デザイナーとしてグラフィックデザインを作ったり、ファッションブランドを始めたり、ワイヤーアーティストとして、作品が売れだしたり、一歩ずつ、自分のやりたいことを進めている。このnoteも、やりたいことの一つだ。


あのタイミングで、大徳寺黄梅院に立ち寄ったのは、「自休」という言葉に出会うためだったのだ。


ここに訪れた戦国武将たちも、利休の枯山水を眺めながら、今後の自らの行く末を一考していたのかもしれない。


エシモ



*大徳寺黄梅院についてはこちら


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