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「自由」に暮らすことの大変さ

こんにちは! レオ・エースです。
今年度も終わりに近づき、私の周りもバタバタした雰囲気になっております。4月からは新しい仲間もうちの事業所に入ってくるので、その準備もしなければなりません。
切り替え時って、なんか落ち着かないですよね。

さて、今日は「自由」ということについてお話ししたいと思います。

「自由に生活していきたい」、「なんでも自由にやらせてほしい」というのは、私たちの多くが思っていることかもしれません。
私が担当しているクライエントもよくそのようにおっしゃいます。

でも、私たちはこの「自由」という言葉の意味を、本当にわかっているのでしょうか? ちょっぴり哲学的もしくは法的な話になるかもしれませんが、少し考えてみたいと思います。

「自由」と「制限」

日本では憲法のもと、自由権が保障されています。
これは、精神的な自由や身体的な自由、経済的な自由について、国家権力による個人への不介入を保障する権利のことです。
私たちはこの憲法があるからこそ、自由な生活を楽しむことができます。好きな場所へ行き、好きな服を着て、好きな食べ物を食べる。自由とは、自分で選択して生きていくことができるということです。

一方で自由権とは逆に国家の一定の介入を求めるものとして、社会権が存在します。これは、ただ自由なだけを許してしまうと、世の中が強者と弱者に分化していってしまい、弱者の権利が脅かされることになりかねないからです。そこで、権利を侵害された人がその権利を回復するために国家に対して積極的な援助を求めることができる権利が必要になります。それが社会権です。

なので、私たちの生活は、この自由権と社会権のバランスの上に成り立っていると言えます。基本的に私たちは自由ですが、それは「他の人の権利を侵害しない限り」という制限がつきます。

この自由と制限のバランスという考え方は、法律上のことだけではありません。私たちが生活する上では、結構大切な考え方になります。
それをわかりやすくイメージするために、これら自由と制限のバランスが崩れるといったいどういうことが起きるか、考えてみましょう。

全てが「自由」な場合

生活のすべてが制限されている状態は、それは奴隷のような生活になるでしょう。そこに幸福は感じないと思います。
では全くの逆で全てが「自由」な場合はどうでしょうか?

全て自由なので、食べるものを好きに選ぶことができます。ケーキが好きな人はあらゆるケーキをおいしく召し上がるかもしれません。次郎系ラーメンが好きな方は、全部マシマシで満喫することでしょう。それをずっと続けることができます。自由なので。

また、働くかどうかも自由に決めることができます。「今日は働く気分じゃないから休もうかな」という時(体調が悪いわけでなく、気まぐれという意味で)も、自由に休むことができます。今の仕事が気に入らない場合は、いつでも転職できます。それも職業選択の自由です。

車の運転も自由なので、どんな道も好きに走ることができます。赤信号で止まらないといけないという制限などありません。好きに通行できます。なんせ自由なので。

と、まあここまで考えてくるともうお分かりだと思います。完全に自由に生活することは、ひと時の解放感は味わえるかもしれません。しかし、その結果は自分で引き受けなければならないのです。
そう、「自由」には「責任」が伴うのです。

健康を顧みず好きなものだけ食べていれば、いずれ身体に深刻な不調が現れます。好きな時だけ気まぐれに働く人は、周りから信頼されずキャリアを積むことも難しくなるでしょう。交通ルールを無視する人は、必ず大きな事故を引き起こします。

こうして考えると、「自由」に暮らすことも結構難しいと感じないでしょうか?

自己決定の厳しさ

生活上の「制限」とか「ルール」は、窮屈に感じることもありますが、実は私たちを守る目的で設定されています。なので、基本的にはそのルールの中で自由を行使することが良いです。

ただ、私たちが持つ「自由」の使い方として、生活上のいろいろなことを決めていくことが必要なときがあります。
どこに住むか、どんな仕事をするか、どんなものを買うか、どんな人と付き合うか、などなど。
福祉のいろいろな制度を使う時にも、クライエントが自分で決めていくこと、自己決定が求められます。

これは一見とてもいいことなのですが、先ほど考えたように「自由」には「責任」が伴います。なので、その自己決定の結果は、その人自身、クライエントが負わなければならないのです。

例として、Aさんが大きな病気を抱えているとしましょう。その治療法にはいくつかの選択肢があります。手術、服薬治療などなど。医師はそれぞれの選択肢のメリット・デメリットを説明してくれますが、最後は「Aさんはどうしたいですか」と聞いてきます。Aさんは病気になったことのショックで何がいいのかわかりません。それでも自己決定はしていかなければなりません。病気の進行のことを考えると、あまり猶予はないのです。そして、その状況で下した結果は、自分で責任を持つのです。

こう考えると、私は、自己決定ってほんとうに厳しいなと思います。ひいては、「自由」に暮らしていくって大変だと思います。
でも、その大変なことを、相談員としてクライエントにいつも求めているんですよね。
私としては、少しでも自分で決定しやすく、分かりやすく情報提供したり、一緒に考えたりしながら支援したいと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

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