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「ま」は待つだけ、しかしそれが難しい

「やろうと思っていたのにい!」
これを子どもに言わせたら親として負け

(ティッシュとハンカチ、ポケットに入れたかな、ドキドキ)

(手を洗いに行くのか!?うがいはするのか、ドキドキ)

(おっと、その細かいおもちゃを車の中で分解したら、ドキドキ)

(うわあ、やっぱり羽の部分を無くしたが自分で探しているぞ、こちらから声をかけてはいけない、きっと困ったら声をかけてくるだろう、ドキドキ)

(お口のまわりがチョコレートまみれなんだよな、拭くかな、自分で拭くかな、ドキドキ)

(みかんの皮が放置されているんだよな、これ今食べているおにぎりを食べたら自分で捨てに行くのかな、ドキドキ)

(絵本が出しっぱなしだな、きっと今観ているアニメが終わったら本棚に入れるかな、寝る前までにはきっと、、片付けてくれるよね、ドキドキ)


どんどん出てくる、「待ち」いや

「待て」の状態!!

おやつが欲しいワンちゃんです、はい、待ちます、ご主人様

言ってしまった方が正直楽である
「ティッシュとハンカチは持った?」
「あー、そんなところでおもちゃ出さないの、無くすわよ」
「お口のまわり、拭いてね」
「絵本、片付けてね」

親というものは人生の先輩として
教育者としてなのか(本当はただの保護者なんです)
先回りしてものを言いたがる節があるけれど
自分もそれをされて嫌だったように
我が子もそれをされて嫌だろうから
先回りをしないように徹底している

君の全てを信じているよ
というメッセージからの信頼関係の構築

そして
自分で考えて行動できる子になってほしから
自分で必要だと思う行動をしてほしいから
親がそばにいるうちに失敗も経験してほしいから

何も言わずに「待つ」という子育てを選択してるんだよおおおおおお!!!

と声を大にして言いたい

だって
その「先回りに何か言うこと」を
周りの誰かのためにしているとき、ないかなって

ちゃんとした親だと思われたいんだろうな
そのために
子どもとの信頼関係は構築されていないけどな(辛辣)

そういう場面に多々遭遇して
そうせざるを得ない子育ての現状が嫌になって

だから声を大にして言いたくなったふなこです

被害者は親だ
「いい親はこうあるべき」みたいな情報がたくさんある世の中の被害者

子どもを待つことって難しい

子どもに言わないって難しい


「甘いわね、優しすぎるわね」と言われながらの子育ては正直しんどい
ちゃんとした親じゃないと言われるようで
子どもはわがままに育つと言われているようで

でもちがいます

心配 は イコール 愛情 じゃない
少なくとも 信頼 は 愛情 に直結する

わがままには育ちません
親から信じてもらえているという心の栄養は
自分のことも
周りの人のことも
考えて行動できる人間に成長させてくれますよ

それを信じて
これからも周りにどう見られようと
「待つ」を貫こうと思います

追記
ティッシュとハンカチはリュックに予備があるのでしらんぷりです
手洗いうがいは忘れそうなときは「一緒にしよう」と言います
飛行機に乗ったときにもらった飛行機のプラモデルを
レンタカーの中で組み立てようとしてわたしの母は青ざめており
案の定パーツをぶちまけた娘ですが
それでもニコニコ、目的地に着いたときに
全部のパーツを拾えて満足そうでした
口が汚れていることはよくあって
何度汚されても(アナゴのタレとチョコが多め)
わたしは白いTシャツを着ているものですから
最初は面白がっていた娘も最近は自分で口を拭くようになりました
カピカピになっていくみかんの皮を楽しむ余裕も子育てにほしいところ
絵本が出しっぱなしのときは次の日の朝も読むのでまあいいかと


ただのズボラ母かな、ふなこでした

読んでいただきありがとうございました^^

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