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【大学院生エッセイ】「人間の育ち」への関心と教育学研究

博士課程 教育科学専攻 すずき

博士課程で教育学を専攻しているすずきさんのエッセイです。すずきさんは、大学院進学前に体調を崩して研究から離れていた時期があったそうです。その後すずきさんはパートナーと出会い、博士課程進学を決意、博士課程2年次で結婚をします。しかし、妊娠出産と研究者としてのキャリアに関する不安はつきまといます。そんななかすずきさんがとった行動と見出したこととは・・・?(本文:4965 文字)


はじめに

 私は教育学を専攻している大学院生です。学部生の頃に通っていた大学の大学院修士課程を 経て、同大学院の博士課程に進学し、現在に至ります。目下、博士論文執筆に向けて研究を進めて います。
 このように示すと、「普通」の大学院生の歩みのように思われるかもしれません。しかし、実は、今日までに様々なことを経験してきました。具体的に例を示すと、卒業直前頃からの体調不良、そして 博士課程進学後の結婚・転居です。
 こうした中で、私はなぜ博士課程進学を決意し、研究を行っているのでしょうか。まずは、私が教育学を志すきっかけとなった子どもの頃から遡り、これまでどのように研究と向き合ってきたのかを振り返りながら、記述したいと思います。

被教育体験における問題意識

 私が教育学を志すきっかけは、中学生の頃にあります。中学校での教育活動は、生徒の主体性を育むようなとても充実したものでありました。当時の学びは今でも鮮明に覚えています。中学校卒業 時に書いた中学校生活の感想文では、「なぜ学ぶのか?」といったテーマで自分の考えをまとめて いました。当時は、理科の教員志望でもあり、既に教育というものに関心を寄せていました。
 しかし、高校進学後は、受験競争が激しい環境で過ごし、ペーパーテストや学力偏差値で人間の 価値を評価する学校文化に触れるようになりました。そこで、中学生までの頃との差異から違和感・ 窮屈感を覚え、問題意識を持つようになりました。
 大学受験を目の前にした高校 3 年時には、とりわけ窮屈感を激しく覚え、勉強に力が入らない状 況になり、それはなぜだろうかと考えるようになりました。そこで、無謀にも、当時理系であったにも関 わらず急遽文系に転向し、教育学部に入学することにしました。大学に入学した後、広く教育学を学修することは快楽で、私にとっての教育学を選択したことは正解でした。

学部卒業直前頃からのからだの異変

 しかし、大学院生になろうとした矢先、私はやむを得ず研究から遠ざかることになってしまいまし た。
 学部 4 年生の頃、私は部活動やゼミ、卒業論文を抱え、多忙を極めていました。その時の私は 1 日に使える時間を最大限利用し、「倒れるまで頑張るんだ」と意気込んでいました。特に、卒業論文 は自分の関心に基づいて好きなことを研究できるという点から、熱心に取り組んでいました。また、 卒業論文での研究を大学院でも延長して続けようと考え、夏には大学院試験を受験し、翌年春に 大学院生になる準備をしていました。しかし、卒業論文の口述試験を終了した後、本当に倒れてし まい、それから数年は日常生活もままならない状況となってしまったのです。

 一瞬にして若き少女が年老いた 90 歳の老婆になる話。そう、多くの人がご存知であろう『ハウル の動く城』である。帽子屋のソフィーが荒れ地の魔女に魔法をかけられ、瞬く間に老婆になってしま うことで、ストーリーが始まる。これは、ただのおとぎ話であり、フィクションであり、現実の話ではない。 だから、本来はこうした摩訶不思議な出来事は起こらない。しかし、これが現実の私の身に起きたの だから、驚きだった。驚くどころか、もはや、現実に幻滅せざるを得なかった。

 これは、私が酷く体調を崩して半年経った時に綴った一節です。このようなポエムを書き残してし まうほど、今思えば私は孤独であったのかもしれません。確かに、当時は食べる・寝る・歩く、といった 日常生活動作すら困難で、「普通」の人とは違う自分は、世の中から隔絶した存在のように思えて いました。そのため、修士課程に進学しても、私は半年間全く大学に通えない状況になりました。
 

「人間の育ち」への関心への気づきと教育学の魅力

 体調が悪い時期は、天井の模様を目で追うことしか出来ず、なぜ私はこんな状態になってしまったのかと思い悩みました。「倒れるまで頑張るんだ」と意気込む性格が悪かったのか、部活動やゼミ、 卒業論文への取り組みに対して何か一つでも手を抜いたら良かったのか、そもそもこれまでの人生 の歩みに問題があったのか、などと悶々と考えました。しかし、いずれも私にとって重要な経験であり、 ましては過去に戻ってやり直すこともできない手前、今の状況を受け入れるしかありませんでした。 未来の私が、今の状況を振り返ってみて、これも重要な経験だったと思えることを望みました。
 体調が少しずつ快復してきても、以前のような私でいられないことには、とても不安になり、絶望し、苛立ちました。食べること、寝ることが未だ十分に出来ず、何もやる気が起きず、いつまでも熱心 に研究に取り組めない私に、指導教員から「研究は本当にしたいことではないのかもね」と諭されたこともありました。そうかもしれないと思い、小説を書いたこともありました。そこで書き上げた小説 のテーマは「人間の育ち」であり、そのモチーフは学部 4 年時にゼミで行ったフィールド調査でし た。やはり、私の関心の根底には「人間の育ち」があり、教育学が好きなのだと思い直しました。

博士課程への進学決意

 少しずつ生活を元に戻そうと努める中で、私はパートナーと出会いました。パートナーも過去に辛 い経験をしたことがあり、それを乗り越えてきたためか、様々な困難を抱える私を励まし、支えてくれ ました。一緒に過ごす時間が増える中で、お互いに補いながら生きるということが、とても価値のあることだと思うようになりました。パートナーと過ごす日々は、人間として育つということ、自立するとい うことはどういうことなのかを、身をもって理解していく過程でした。
 同時に、このことは教育学の魅力に改めて引きずられる過程でもありました。というのも、人間とし て「自立する」ということは何か、ということは教育学(あるいはその近接領域)の一分野において極 めて重要な問いであると、これまで学習してきたからです。あの時学んだことの内実はこういうこと だったのか、と時を経て理解する感覚は非常に快く、やはり私は教育学を志したいと思うに至りまし た。
 そこで修了に向けて、私は改めて、自分の求める教育の姿や、優れた教育実践とは何かについて 考えるようになりました。そして、そうした理想像とは乖離している現状がなぜ生まれているのか、そ れを問うことが教育学研究において必要なのだと考えるようになりました。修士論文は、最後まで何 をテーマにするかは迷っていましたが、自分がその時最も関心のある事例を検討させてもらいまし た。調査は体力的にギリギリでしたが、多くの人の支援のおかげで実施することができ、なんとか修 士論文を完成することができました。そして、修士論文を提出しました。すると、その直後、私の頭にパッと、次のことが頭に浮かんだのです。

「次は、どのような論文を書こうか。」

 自分でも驚きでした。不思議と、研究はもう懲り懲り、という思考には全くなりませんでした。むし ろ、次に何を問うか、少しばかりウキウキしていました。そうだとしたら、やはりここで研究を辞める訳 にはいかない、と思いました。私は博士課程進学を決意し、願書を提出しました。
 願書提出後は、受験の準備を毎日行いました。私の大学院では試験内容に、自身の研究内容に関する口述試験と、長文英語の和訳があったので、特に苦手な長文英語の対策をしました。具体的 には、過去問あるいはそれに準じた英文を訳し、英語の得意な人にみてもらう、といった方法です。 おかげで、博士課程に合格することができました。
 そして、私は博士課程 2 年時に、パートナーと入籍をし、その翌月にパートナーが働く地に転居することになりました。コロナ禍の好影響で、オンラインで研究指導が受けられる状況になっていたた め、大学から離れることには躊躇がありませんでした。結婚してからは、より前向きな気持ちで生活できるようになり、パートナーも(大変な時もありますが)幸せな生活を送れていると言っています。 お互いが生きやすい生活を共同でつくることは、まさに「人間の育ち」を考える場面となっています。

研究の難しさと不安

 ただし、研究を続けていくことには、難しさがあり、不安も付き纏います。まず、博士論文を執筆する上では、査読付き論文を数本出さなければなりません。今日の業績主義の傾斜によって、特に就職時において論文数は重要視されており、さらに博士課程進学後は、短期間で博士論文を提出することも求められています。指導教員との関係も論文執筆過程には影響し、ハラスメントや学生が萎縮するような言動をする教員と普段関わることになってしまえば、精神的なストレスは極めて大きい です。こうした環境下で、大学院生として研究を続けることは本当に難しいです。
 特に私の場合、研究調査のために、頻繁に、そして全国各地に一人で出掛けることが困難な状況にもあります。他方で出産・子育て願望もあり、博士論文提出前にそうしたライフイベントを挟めば、 その後の研究者としてのキャリア形成が全く予想できません。もし妊娠中、出産後に以前のように体調を大きく崩してしまえば、と考えると、頭の中は不安で充満してしまいます。 

研究室の先輩からの助言

 こうした不安に対して、私の研究室の先輩は、様々なコミュニティに参加し、多様な研究スタイルを知ることが重要だという助言をしてくれました。近年では、学会の若手支援事業として、研究者の キャリア形成や研究履歴に関する講演や交流会がしばしば行われています。こうした機会に積極的 に参加することで、自分の研究スタイルを検討すること必要ではないかということを示唆してくれた のです。
 その後、私は何名かの女性研究者から意見を伺うことができました。そして、様々なスタイルがあり得ると知ることができました。常に研究や仕事に邁進し、多くの学会・研究会に参加する方、子育 てしながら研究に時間を割けない中でも息長く研究を続けようと努力する方、博士課程満期退学後、非常勤講師をしながら子育てにウエイトを置いた生活をしながらも、やはり研究をしたいと思い 常勤講師になった方。まだ出会ったことのない方も含め、多様なスタイルで研究に向き合えることを 理解することができました。
 考えてみれば、人間の育ちは、ベルトコンベヤーに運ばれて作られる機械のように一定なのではなく、一人ひとり異なるのです。それなのに、私は自分自身を自らベルトコンベヤーに載せていたのです。改めて自分自身がどのように生き、研究生活をつくっていきたいのかを考えれば良いのだと思うようになりました。

なぜ研究をするのか?

 ただ、指導教員から「研究は本当にしたいことではないのかもね」と言われた後から、時折自分 は研究が向いていないのか、研究が好きではないのかと考えることが増えました。教育学は明らかに好きだと断言できるものの、研究は「好き」とはまだ断定できないのです。それよりも、「時間を忘れて没頭できる」ことと言ったほうが適切だと感じます。ついついやってしまうような、やらざるを得ないような、言うなれば「精神活動」になっています。画家が自分の思いを込めて絵を描くようなもの に近いと思います。
 では、「好き」という感情を自覚できなければ研究はしない方が良いのでしょうか。無理に研究す る必要がないと思った方が良いのでしょうか。しかし、私はこれまで辞めることは出来ませんでした。 そこで私は、自分に合う研究スタイルを確立すれば、自分が研究を「好き」だと断定できるような状況をつくれるのではないか、まさに、博士課程はその「修行」の期間なのではないか、と考えるよう になりました。
 そうすると、研究は少しずつ楽しいものだと感じられるようになってきたように思います。自分のスタイルで一歩ずつ進める研究は、私の生活の一部になり、「好き」の部分が大きくなってきました。
 今後は少しでも「研究者」に近づけるように、自分のペースで研究スタイルを確立することを目標 に取り組みたいと考えています。そのためには、多くの人と関わり、議論し、思考を豊かにして、共に 人間として育つことが大事なのだと思っています。

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