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卒業研究やりたくない学生へ

はじめに

お盆休み中にこんなエントリが話題になっているのをみた。

日頃大学教員として苦悩しながら指導する立場としては、「何言ってんだコイツ」と言いたいのも理解できるけど、少しでもこう考える学生に対して何かいい回答ができればいいなと言うことで、noteでまとめてみたい(なお、これが初投稿である)。

指摘への回答

Q. 学問の追求は教授のエゴではないか?

大学が研究機関かそうでないかという部分は、個人の立場・考え方に寄ってしまうので、法での定義を引用します。学校教育法の第83条には以下のとおり書かれています。

第八十三条 大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。
② 大学は、その目的を実現するための教育研究を行い、その成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=322AC0000000026

「深く専門の学芸を教授研究し」とあることから、大学はやはり教育機関でもあり、研究機関でもあるという玉虫色の言葉で集約されてしまいそうで、そのバランスはおそらく大学によって大きく変わるんだろうと思う。東大やエントリのような旧帝大は日本の中でも有数の研究機関でもあることは想像に難くないし、一方で私立大学のように学生を多く取っているところは教育の割合が大きくなる(実際、研究がほとんどできないと嘆く私立の先生をよく見かける。)

このことを鑑みるに、「大学は研究機関である」という教授の言葉は教授のエゴではなく、教授としての職務の一端であることをどうか理解してほしい。もし、その教授が必要以上に学生に研究への責任感や重圧を与えているようならば、確かにそれは本来、ポスドクなりテクニシャンなりを雇うか、ちゃんと人件費として学生にお金を与えて進めるべきことだと思う。

やる気のない学生に研究室や教授の資源を割くよりもやる気のある学生に資源を使ったほうが研究室の利益や個人の幸せの観点から見ても良いと思う。

https://anond.hatelabo.jp/20220816014148

これは本当にそのとおりだと思う。時間は有限で、こと加齢による体力の低下や家庭のこともしなくてはならなくなると余計に時間を捻出することが教員になってから難しく感じている。その中で、やる気のない学生よりやる気のある(結果を出しそうな)学生に注力した方が幸せだと思う。でも、大学は「研究機関」であり「教育機関」だから、「教育機関」の側面でそういうわけにもいかないと言うことをわかってほしい。つまり学生を社会に送り出すのに必要なカリキュラムだと思っているから、学生に卒業研究を課している。

Q. 研究で培った力は役に立つか?

役に立つとはっきりと言えます。

Q. 定量的なデータはあるの?

まずはエントリでの定量的な根拠が求められていたのでそこから。定量的な根拠という意味はよくわからないけれど、例えばe-CSTIの「人材育成に係る産業界ニーズの分析」によると学部よりも研究教育を受けた修士、博士の方がどの指標も高い傾向にある。これは研究を経て得られるものが多い→役に立つと言う根拠の一つじゃないか。他にも色々可視化されたデータが載ってるので参照してみたらいいと思います(個人的には年齢ごとのやりがい、年収レベルも重要な指摘だと思います)。

やりがい度、専門分野との関連度、年収レベルの関係性(最終学歴による色分け、e-CSTI調査資料「人材育成に係る産業界ニーズの分析」より)

いろんな企業と共同研究している私の体感としても、企業の技術系の中で決定権を持つ立場にいる方の多くは博士号持ちだったので、このデータは個人的には体感と一致しています。

Q. 具体的に何が役に立つの?

具体的に何が役に立ってるのか、と言われるとまずはエントリの教授が言うような「難しい問題について色々と調査を行い、自分の頭で考え、試行錯誤する力」は確かにつくと思う。書き方がちょっと抽象的なのはエントリの学生が理解できなかったか、教授が曖昧にしたのかはわからないけど。具体的にいえば、未知の話題について論文などの確かな情報を収集する能力、得られた情報に基づく仮説構築とその実証方法の検討能力、得られた結果と仮説の比較検証とそれに基づく仮説の修正、実証する能力、これらはやはり重要な力だと思います。特に専門職に就かれるエントリ主のような学生ならなおさら。

付け加えるなら、得られた結果を人に伝える能力も付きますね。例えば日々の研究室内での報告会での資料作成(WordかPowerpointかな?)は繰り返すたびに相手に伝える資料の作り方を体得していけるし、卒論発表として限られた時間内に要点をまとめて相手に伝えることはこの先に生きることは間違いないし、数十ページ、多い人は百数ページに及ぶ学位論文を書き上げるという経験も、これまた卒業研究以外では得難いものだと思います。

親しくなった企業の方に、率直に博士って会社で役に立つん?って聞いたこともあります。「研究で得られた専門知識を活かせる場合は当然だし、そうでなくても研究の言葉で意思疎通できるということが非常に重要(意訳)」という回答をもらってそれは研究教育の意味を考える上ですごくしっくりきています。

Q. 研究じゃないといかんのか?

私は難しいスマホゲームをクリアすることでも同様に「難しい問題について色々と調査を行い、自分の頭で考え、試行錯誤する力」が培えるのではないかと質問したところ誤魔化されてしまった。

https://anond.hatelabo.jp/20220816014148

私はそれでも全然いいと思う。仮説を設定して、実証して、ちゃんと学位論文でまとめられるならスマホゲームを題材にして卒業研究をしてもいいと思う。ただ、教員としては専門外だから指導はかなり難しくなるし、他の学生よりもより「難しい問題について色々と調査を行い、自分の頭で考え、試行錯誤する」ことが求められるけど大丈夫かな?それがダメなら留年させざるを得ないから、よく考えて決めないといけないと思う。

スマホゲームは解が用意されてる、研究で取り組む問題は解がないってのは納得した。

https://anond.hatelabo.jp/20220816014148

余談だけどスマホゲームに解が用意されてるなんて思わない。アメリカの電気・情報工学分野の学術研究団体であるIEEEでも、マリオをAIでクリアしようとする研究が紹介されているくらい、ゲームもまた十分解のない問題たり得るものだと思います。

Q. 大学の講義/研究を学びのための最良のコンテンツだと勘違いしているのでは?

最良かはわからないけど、各大学・学部・学科がその分野を学んでもらうために必要だと考えたコンテンツを考えて組んでます。近年のコロナだと、オンラインや感染リスクを減らしながら実習をしてもらう方法をどうするかなど、教員が集まって、頭を抱えながらシラバスを組み立てているし、講義資料も考え込んで作ってます。それで講義中寝られると悲しい気持ちにはなるけど、機械的かつ上から目線で学生に課している訳では決してないことを信じてください。

今はインターネットを探せば、大学から提供されるものよりも分かりやすいものはいくらでもある。社会から隔絶された場所に籠っている教授は極めて視野が狭い。

https://anond.hatelabo.jp/20220816014148

ネットにわかりやすい教材があふれているのは本当にそうです。特にコロナ禍でかなり教材のオンライン化が進みました。私もJoVEの映像コンテンツを講義に取り入れたこともありますし、それなりに好評でした。教員だってこう言うコンテンツも探しているし、どんどん取り入れています。

あと、今どき社会から隔絶された場所にこもっている教授はほとんどいないと思います。学会にしろ、企業との共同研究にしろ、何らかの形で社会と接している教授の方が経験的に多いです(これは私が工学畑だからというのはあると思いますが)。

さいごに伝えたいこと

卒業研究をしないでも技術職で内定をもらったと言う話だったけれど、そもそも内定取ったら終わりなのかな。むしろ、そこから企業で働く時間の方が長いし、その中で必要とされる可能性を考えてみませんか。そう考えると、卒業研究で得られるものというのは冒頭にあった「翌年から始まる社会人生活でのパフォーマンスを高めるための学習」と共通するものがあるんじゃないかとやはり思います。

残念ながら、半年程度の卒業研究では研究経験としては雀の涙程度なのも事実です。本格的に研究経験を積むなら修士以上に進むべきです。それでもゼロと半年では全然違います。所詮半年、「翌年から始まる社会人生活でのパフォーマンスを高めるための学習」として、卒業研究に取り組んでみてはいかがでしょうか。

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