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アリに学ぶ生物社会。

若けりゃ子育て、年をとったら外へ行け!

 ”引きこもりが正しいことを証明した研究”、”ひろゆき推薦”の帯に釣られて、まんまと読んでしまった「働かないアリに意義がある」。

 私は引きこもり気質の社会不適合者であることは自覚しているが、一介の鉄道員と言う名のエッセンシャルワーカーとして、気遣われるどころか、こき使われている。親のスネをかじれない程度に哀れな家庭環境だから、自力で引きこもるためには資産が必要だ。引きこもれるのはそれだけ裕福な家庭である象徴に他ならない。夏目漱石が高等遊民と名付けていただけのことはある。

 そう考えると、子供を育てる予定はないし、そもそも相手が居ないが、養育にひとり2,000万円必要なんて謳い文句に惑わされ、蓄財に励んだ結果、子供に引きこもられて、湯水の如く資産を食い散らかされるくらいであれば、後先考えずに目先の快楽に溺れ、子沢山で質素倹約な生活をした方が、かじるスネがなく、子供に引きこもる隙を与えないだけ健全なのではないかと、日経テレ東大学のビッグダディ回に感化されている今日この頃である。

 本文中にフリーライダーに塗れた共同体は破綻するなど、タダ乗り大好き人間としては耳が痛い話もあるが、最も興味深かったのは、種を存続させるための理に適った戦略が人間社会のそれとは真逆だったことである。

"あるワーカー(アリ)が生まれた場合、はじめのうちはできるだけ安全な仕事をしてもらい、余命が少なくなったら危険な仕事に「異動」してもらうことが、労働力を無駄なく使う目的に叶うことになります。"

働かないアリに意義がある|長谷川 英祐 

 日系企業のメンバーシップ型雇用では若手が外回りで、歳をとっただけで偉そうにしている奴が内勤がよく見る光景だが、アリの社会ではこれが逆で、生殖機能旺盛な若い個体は内勤の傍らで種の存続に励み、生殖機能を果たさない年長者は、外で獲物を探したり、外敵から巣を守る危険な役割を全うしている。

 余命が短ければ短いほど死亡した際の損失は小さいから、年配者に危険な仕事を任せるのは、種を存続させる目的を果たすことだけを考えれば確かに合理的なのである。

なぜヒトはそうならないのか。

 しかし、ヒトの社会はそのようになっていない。先進国全般で少子化が問題視されているのは、GAFAなどのITを扱う新興企業が既存の産業を吸収したり、コンテナの登場によるグローバル社会化が進んだことで、企業間の競争を激化させ、結果として大量の失業者を生み出した側面があり、既存の産業や企業は生き残りをかけて労働生産性を極端に上げざるを得なかった。

 成果報酬的側面が強いジョブ型雇用であれば、若手も年長者も同じ条件で仕事を行うから公平性がある分、時代の流れとして受け入れられる。しかし、メンバーシップ型雇用の日系企業では、雇用を守るために無駄な中間管理職ばかりを増やして労働生産性を上げるような取り組みを製造業の機械化などを除いて大して行って来なかった。

 そのしわ寄せが若手に押し寄せた結果、自分ひとりがその日、その月を生きていくのが精一杯な状況が蔓延化し、将来にも希望が持てず、子供どころかパートナーすら視野に入らなくなり、晩婚化や少子化が加速度的に進行しているのが現状である。

 現に生涯未婚率は上昇の一途を辿っている。今の日本社会は若者が自立して生きるにはハードモードなのだ。四角大輔さんの著書にも以下のように記されている。

“ITの急激な進化によって、今や一人当たりの業務量は数倍に。なのに、働く環境も、上層部の大人たちの意識もあまり変わっていない。若い世代にとって、今の日本社会は過酷すぎる。”

人生やらなくていいリスト|四角大輔

 なぜアリとは真逆の、若者を犠牲にしてまで、老獪や老害が蔓延る非効率な社会となっているのか。アリとヒトの大きな違いは知能で、昔は年長者の知恵や経験が種の存続に役立っていたから、敬っていたのではないかと推察されている。

 確かに近代までは長年の知恵や経験が重要だったのかも知れない。しかし、インターネットがインフラ化した昨今では、必要なのは知識量ではなく、適切な情報を引き出す検索力が重要になりつつある。

 時代の変化が激しくなり、情報の陳腐化が劇的に速くなった情報社会と化したことで、現代人が1日に得る情報は江戸時代の一年分とも言われている。現代では既に陳腐化しつつある過去の知識や経験を誰かから聞くよりも、ググる方が合理的であり、既に年長者を敬う大義名分を失っているとも捉えられる。

行き着く先は高齢者の集団切腹。

 時代に適応できなくなった暴走老人が問題視されるようになって久しい。先日も某牛丼チェーン店の常務が「生娘シ○ブ漬け戦略」と、アダルトビデオ業界もビックリな思想を38.5万円の有料セミナーで失言し、裏庭の焚き火のごとく炎上している有様である。そして私見ではSOD辺りがパロディで採用する未来までは予想できている。

 この問題も、一般的な面接の場に来たら絶対に採用しないであろう、ちょっと何言ってるか分からない人たちが、年功序列で偉いポジションに就き続ける、日系企業の構造で助長している側面があるのではないかと考えてしまう。

 日本社会におけるマイノリティである20代は、上がらない年功序列賃金と、上がり続ける社会保険料。守られない終身雇用制度に、期待できない退職金の冷遇下で、年長者の数倍もの労働生産性を要求され、人口動態から何十年経っても労働市場のボリュームゾーンとしてこき使われ、それが定年まで続くとされている。氷河期世代以降、生まれたタイミングが違うだけで、人並みに生きるハードルが極端に異なるのは、どう考えても理不尽である。

 若い時の苦労は〜などと、偶然、世代別のマジョリティ層に生まれて選挙を牛耳り、自分達に最適化されたシルバー民主主義を主導した結果が、ぬるま湯な仕事と年功序列、終身雇用、退職金、払った額より貰える年金や医療費などで、既得権益にしがみ付いている年長者の意見など、若者からすれば戯言でしかない。

 我々20代は人口ピラミッドの構造上、サラリーマンであり続ける限り、決して晩年に報われることはない。世代会計から年金・社会保険料は支払った額よりも多く貰えるどころか、生涯で5,000万円以上損することが試算されている。そんな状況で年長者を心の底から敬うことなど到底できるはずがない。

 それでも、大多数は表面上敬うような態度を取ってしまっているのが、日本の未来のためを考えると宜しくない。マイノリティである若手が今すぐ出来る取り組みは、韓国のように老害を心の底から軽蔑していくような、嫌老感を剥き出しにすることで、年長者は社会に必要とされていない現実を直視させ、会社の居場所も無くし、世代交代を加速させることではないだろうか。


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