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お金に働いて貰うことは大切だが...


運用でサクッと年収以上に増えると内心複雑

 昨今、日本株市場の地合いが良いことと、24年から新NISAが始まったことが相まって、パンピーの投資熱というか、機運が高まっている肌感覚は、金融機関にNISAの幟があったり、書店のビジネス書コーナーに投資に関する本が平積みされていることからも感じる。

 私は2019〜2021年のアメ株一強時代に、日本株はオワコンと揶揄されていた頃から、結構な額を張っていたため、ここ一年は保有銘柄を2〜3入れ替えた程度しか触っていない割に、上昇相場の恩恵を多分に受けている。

 ちなみに、年度で区切る合理性はないものの、前年度のTOPIXのパフォーマンスはおおよそ+35%で推移しており、仮に1,000万円をTOPIXで運用していたら、新年度にはざっくり1,350万円スタートになっている計算で、実に350万円のプラスである。

 無論、私は老後資金問題が既に解決していることから、運用総額は少なくともソレ以上であり、通貨分散で日本円と外貨を半々で保有・運用するように心がけていることから、最低でも例として挙げた額以上の資産は増加していることになる。信じるか信じないかはあなた次第!

 私は高卒で社会に出た直後、周辺的正社員故に、フルタイム手取り13万円で「お前が終わってんだよww」と煽られるレベルの低賃金からスタートしている。無論、雀の涙程度の棒とナスを足しても年収300万円には届かない社畜1年目だった。

 その後、転職で待遇は多少マシになったものの、重責の割に薄給激務という大枠が変わらなかったことから、20代半ばで身体が壊れ、文字通り命を削る働き方をしていたが、その時の最高年収が400万円台だった。

 病気で倒れ、1ヶ月弱の入院と手術が必要な程度に内臓を悪くした際、フランスベッドの上で、たったの400万円で過労タヒ寸前まで追い込まれるとか、どう考えてもこの社会がおかしいと思い、ダラダラと休職期間を過ごした後に退職。

 そうして、主に労働はクソであるという絶対的な価値観を身を挺して形成し、自分自身が働くのではなく、お金に働いてもらう道を選んだ。ホトトギス・キラーの異名を持つ戦国武将の家来だったら、間違いなく殺されている。

 そして今、資産運用でサクッと、社畜時代の最高年収を遥かに超える規模で資産が増加している。無論、安定収入ではないため、ゼロやマイナスリターンの時もあることは重々承知している。

 とはいえ、いざお金に働いて貰った方が、自分で働くよりも稼げる状況を味わってしまうと、あの月75時間の残業をこなした社畜時代は何だったのかと、自身が労働者として、稼げる職に就けないポンコツさが露わになって、内心複雑ではある。

運用損益が給与で補填できない世界

 私自身が社会に対して労働力を供給したところで、大して稼げないことが絶対的な事実である以上、もはや資産の増減を給与所得如きで補填できる運用総額ではないことを意味し、そうなると労働する意味がますます見出せなくなる。

 株式投資というと、ギャンブルの印象が先行して、投資元本がゼロになるか、倍になるかみたいに考えるパンピーは思いの外多いが、肌感覚として、手堅い銘柄を選定していれば、〇〇ショックが起きても半減もしないことから、大衆の想像よりもボラティリティはマイルドである。

 それ故に、2%の下落は暴落ではないものの、SNS上でおはぎゃーと騒ぐ人も居る程度に、材料がなければ、そうそう無い下落率となっているが、冷静に考えて、仮に1,000万円を運用していて、1日で2%下落すると、20万円のマイナスとなる。

 これを逐一給与所得で補填していたら、生活費が枯渇するのは火を見るよりも明らかで、資産ゼロから1,000万円という大台に至るまで、地道に蓄財と運用を継続できる人は、自ずと日常生活を営む上での金銭感覚と、証券口座で数字を扱う感覚にズレが生じるようになる。

 それにより、公衆浴場のコインロッカーを返却式だと思い込んで使用し、小銭がロッカーに飲み込まれるポンコツっぷりを発揮して落胆したり、スーパーの値下げシールで一喜一憂するのが変わらない一方で、残業代よりも遥かに大きい金額の損切りは躊躇しなかったりする。

 同じ日本円のはずなのに、銀行口座と証券口座のレートがまるで別物のように錯覚し始めると、生活資金としての10万円は大金であっても、投資資金としての10万円は、たったの10万円感が強くなる。

 それにより、一ヶ月間フルタイムで働いて、これっぽっちの賃金しか受け取れないジブンに対して、労働する意味があるのかと自問自答し始める。

 資産運用で毎日動く金額の方が大きいが故に、地合いが良い時ほど、運用益だけで食っていけるのではないかと錯覚しては自信過剰になり、勢いで仕事を辞めては、暴落のタイミングで破綻して、退場していくのは、親の顔より見た光景である。

 お金に働いて貰うことは大切だが、そのウェイトが大きくなることにより、自分自身で働くことがアホくさいと感じる局面と、どう向き合うべきかは永遠の課題なのだろうと、折り合いがつかぬまま身体が壊れて、社会からドロップアウトしている分際で投げかけて締めくくろうと思う。


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