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団塊世代から読み解く未来。

「団塊の世代」の名付け親。

 団塊の世代と聞いて、何を思い浮かべるかは人それぞれだと思うが、終戦後のある3年間(1947年〜1949年)の、ベビーブームとなった時期に生まれた世代であることは、何となく想像が付くだろう。

 しかし、何故この第一次ベビーブーム世代が「団塊の世代」と名付けられたかは、少なくとも私の周囲の教養レベルでは、あまり知られていないように感じる。

 Wikipediaで団塊の世代を検索すると、下記のように解説されている。

”この用語は経済企画庁の官僚であった堺屋太一による、オイルショック後の日本経済がこの世代によりどのように変わっていくかを描いた未来予測小説の題名『団塊の世代』に由来している。”

団塊の世代|Wikipedia

 未来予測小説と聞くと、SF的なものを想像してしまいがちだが、そんな予想とは裏腹に、至って現実的で面白みに欠ける内容となっている。

 1980年代前半にコンビニという新業態が始まる話。1980年代後半に中堅自動車会社が東京近郊の工場跡地を売却する話。1994年前後に土地価格の値下がりや年功序列、終身雇用が崩壊する話。1999年前後に年金、医療保険が崩壊する社会保障制度危機の話。

 コンビニは至る所にあるし、2000年代前半に日産自動車が村山工場を閉鎖している。土地神話や日本的経営はバブルとともに崩壊したし、社会保障制度の改革が2004年から行われた。当たり前の出来事ばかり並べられていて、ノンフィクション小説の間違いだと思う程度に、読んでいてつまらないが、初版が1976年である事実に度肝を抜いた。

 この本は、高度経済成長期でイケイケドンドンな時期に、同世代が今後の日本経済にどのような影響をもたらすのかを、人口動態を踏まえて未来予測し、それを見事的中させた小説なのである。

残酷なシルバー民主主義社会。

 今の日本はシルバー民主主義と揶揄される程度に若者冷遇、高齢者優遇の構図が蔓延っているのも、団塊の世代が人口ピラミッドのボリュームゾーンに、未だに位置し続けていることが関係している。

 3年間の合計出生数は約806万人と、令和3年度の出生数の約81万人と比較すると3倍以上もの差がある。裏を返すと民主主義が1人1票で有り続ける限り、世代分布の偏りから、若者が3〜4票束ねたところで、団塊世代の1票に勝てないのが現状である。

 結果として余命が短く、目先の年金と社会保障のことばかり考えている高齢者に多くの財源が費やされ、余命が長く、これからの日本の未来を担う子どもたち、育てる親、若者世代には、偏った民意から大して予算が割かれない状態と化し、完全に民主主義が機能不全を起こしていると言える。

 それ位、今の若い世代は社会的に弱い立場であるにも関わらず、それが放置されているのは、団塊世代の数に圧倒されているのに加えて、政策を始めとする、あらゆる決定権を牛耳っている団塊の世代は、自分たちが若かった時から社会的立ち位置が多数派で強者だったことから、現代の若者が少数派で社会的弱者である現実を理解していないことに依るものと思われる。

今昔で立ち位置が真逆の若者。

 学生運動が盛んだった時期は、団塊世代の学生時代と一致しており、卒業と同時に下火となっていった。高度経済成長期で企業が労働力を欲したタイミングで、未来を担う若者として社会に出たため、就職は今よりもイージー。学卒は引く手あまた。

 6畳間の狭い部屋で家族と暮らしていた彼ら彼女らは、核家族による家庭志向が強く、就職を機に親元を離れ一人暮らしを行い家電を揃える。住宅や商品が飛ぶように売れ、企業は更に労働力を求める好循環だったのだろう。結婚して家族構成が変われば、新たな消費が生まれる循環はバブル期まで続いた。

 しかし、バブル期の団塊世代は40代。後にロスジェネとされる子どもたちは手のかからない高校生で消費は落ち着き、企業は売上が先細る中、労働生産性に見合わない高級取りな中間管理職で溢れ返るようになる。

 構造的に詰むのが目に見えていた矢先に、大蔵省が急激な金融引き締めを行ったことを発端に、日本経済の歯車が逆回転する。

 しかし、東洋酸素事件の機に整理解雇の4要件が定められ、賃金に見合わない働きの団塊以前の世代を解雇することはできず、窓際同然の扱いになろうが、年功序列、終身雇用の既得権益で過剰に守られ、そのしわ寄せがロスジェネ以降の世代に直撃した。

 高卒ではまともに就職できない高学歴社会。奨学金を借りて大学を出た所で、正規雇用に就けるとは限らない。正規雇用に就いた所で作業量に見合わない低賃金。消費も結婚も育児も、一部の高学歴高年収エリートのみに許されたオプションと化し若者の立場が弱体化した。

 一方で、例え窓際でも定年まで逃げ切った団塊世代は、多少減額されたものの、今の若者には絶対貰えない多額の退職金と、手厚い厚生年金、完済した持ち家で悠々自適に暮らし、選挙では数で圧倒。自分たちに有利な政策となるようにしてきた。

 生まれた時から今に至るまで、全世代のマジョリティ(多数派)である団塊世代が、生まれた時から今に至るまで、全世代のマイノリティ(少数派)である、若者の気持ちなど理解できる筈がないのである。

著者の絶筆に学ぶ未来の生き方。

 さて、団塊世代の社会的境遇について、著者の初筆をもとに膨らませてきたが、残念ながら堺屋太一さんは2019年に亡くなられている。2000年代前半までの未来予想を見事的中させた人が、今の日本社会をどのように見ているか気になり、恐らく最期の未来予測小説となる、2013年初版の「団塊の秋」にも目を通した。

 詳細は本書に譲るが、あくまでも登場人物が団塊の世代と共通しているだけの未来予測小説であり、舞台は2015年、2017年、2020年、2022年、2025年、2028年となっている。

 出版した2013年は、第2次安倍内閣が発足してすぐの頃だが、小説内では2019年頃に貿易赤字の拡大による急激な円安による物価上昇(インフレ)と電力危機、それに伴う構造改革運動が起きたと記されており、現時点でインフレと電力逼迫は言い当てている。構造改革運動が何に当たるかはこれから見守りたい。

 あくまでも団塊世代の人口動態から予測した範囲であることから、現状の円安、インフレ、電力逼迫は、疫病や戦争による一時的なものと捉えるよりも、日本経済の構造上、起こるべくして起きている状況と捉えるべきだろう。

 流石に疫病や戦争は未来予測に織り込まれてはいないものの、未曾有の事態に直面している我々が生きる上でのヒントが散りばめられていた。

”「環境が激変した時、動物が生き残る方法は牙を研ぐことでも体を大きくすることでもない。雑食になることだ」”

団塊の秋|堺屋太一

 本文の言葉を借りると、安泰と思えた地位も今は簡単になくなってしまう。耐乏生活に慣れ自活する術を知っている者が強い時代となり、自分の腕と頭で生きる方が良いかもしれない旨が記されている。

 不安定な世界情勢の現状では、大量消費社会のアンチテーゼである、ミニマリスト的な半自給自足の耐乏生活、労働者以外の収入源がある、個人事業主や投資家として生きる道が有利な時代となる可能性があり、それに備える手段のひとつとしてLeanFIRE、SideFIREを目指してみる価値は十分にあるのではないだろうか。


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