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結果論で安全圏から批判するヒト。


事件は会議室で起きているんじゃない。

 世間はお盆休みで、Uターンラッシュの時期に、東名阪の大動脈とも言える東海道新幹線が計画運休や、線状降水帯で運転見合わせになったことに対する文句がSNS界隈で散見される。

 今回に限らず、悪天候時に割とありがちな状況として、民鉄は動いているのに、JRは止まっている的な主張で、JRを批判する構図である。

 元鉄道員として、JRの内情は人伝でしか聞いたことがなく、情報ソースの信憑性は定かではないものの、一般論として雨量計や、風速計、地震計、水位計などを管理している範囲も、列車の運行エリアも、JRの方が遥かに広域なため、痒い所に手が届くような調整を行いづらい側面があることは想像に難くない。

 憶測の域を出ないものの、前身が公共企業体だったことから、利便性よりも内部の管理のしやすさを優先していて、画一的な対応に終始してしまう可能性はある。

 一方の民鉄は営利目的で運行している民間企業と、構造の違いからギリギリまで走らせて、旅客を取り込む塩梅を見極める暗黙知があるのかも知れない。

 とはいえ、民鉄側しか経験がないため、JRと比較しようがないものの、運行計画の取り決めを行うのは運行管理所であって、現場と温度差があるのは、どこの事業者も共通だと思われ、指令の指示が適当だと、あの織田裕二の台詞が脳裏によぎる。

エッセンシャルワーカーの報われなさ。

 業界経験者として、ひとつ確実に言えることがあるとすれば、悪天候でJRなどの他社が計画運休する中で、何事もないかのように平常運行している民鉄は、利用者にはありがたいのかも知れないが、従業員からすればブラックを通り越して漆黒企業である。

 私もかつて大型台風の影響で、各社足並みを揃えて計画運休を決定した時に、JRが止まった数時間後のギリギリまで動かす側の事業者に居た。その日は日勤でこき使わされた挙句、退勤した頃には周囲の公共交通機関は全滅。

 職住近接とはいえ、悪天候での歩きだと30分では済まず、職場でやり過ごそうにも遠方で帰れない同僚で仮泊設備は満杯。仕方なく大雨や強風の警報が出ている中、トボトボ歩いて帰るハメになった。

 当時は乗務中も帰宅途中でも何事もなかったから良かったが、もしギリギリセーフだと思って運行していたら、橋梁で突風に煽られて脱線したとか、トンネルの先で土砂崩れが起きて土砂に乗り上げたとか、実際に同業他社の事例であるようなことが起きていたら、乗員、乗客共に命に関わる。

 エッセンシャルワーカー全般に言えることだが、社会を支える重要な役目を担う割には薄給で、命を賭けるのに見合う賃金など貰ってはいない。

 だからこそ、悪天候で運休したらしたらで、何で止めるんだ!動かせたじゃないか!と結果論で糾弾され、万が一、ゴーサインを出して事故でも起これば、安全(人命)軽視だ!とか、なぜ動かしたんだ!と、どちらに転んでも糾弾される訳で、典型的なダブルバインドである。

 鉄道員は平常運転だろうが、輸送障害が起きようが、悪天候だろうが、基本的に手当が積み増されることはなく、異常時に対応したところで、潰れた休憩時間が残業代として精算されるだけで、休憩時間が戻ってくる訳もない。

 それでいて典型的な労働集約型産業のため、若手は手取り20万円に満たない訳で、それでいて上層部の判断ミスで、旅客に詰め寄られては現場は振り回されるのだから、私のようにやってらんねぇなと思い、業界を去る者は決して少なくない。

当たり前の生活がどれほど有難いものか。

 価値観は人それぞれで、結果論で安全圏から批判したい方は別にすれば良いと思うが、それによって何が得られ、何が失われるのかを、よくよく考えた上で、責任ある言動に慎むのが、いい大人としてのあるべき姿なのではないだろうか。

 日本に限った話ではないが、社会インフラを最前線で支えているエッセンシャルワーカーを中心とする、ブルーカラー職が卑下される傾向にあり、直接的に社会を支えている訳ではない、ホワイトカラー職が礼賛されるのは、資本主義社会の歪みのようで、不健全だと感じてしまう。

 これは現業職と投資家という、両極端なスタイルで金銭を得た経験のある身だからこそ、実感している部分がある。

 特に今年の上半期は顕著で、労働者は賃上げが物価高に追いつかず、スタグフレーションに苦しんでいる。

 その一方で、20代のうちに老後資金不足問題を考える必要のない規模の資産を、株式を中心に運用して、地方で隠居しているだけのしょうもない奴が、賃金労働者時代の年収を上回る勢いで、保有資産が増殖している。

 この先の景気後退局面で、株価の下落リスクを取っているとはいえ、サラリーマンが1年で2,000時間前後働いて、ようやく得られるような金額を、たまにネット証券の注文操作をするだけで、ほとんど何もすることなく、たったの半年で得られるのはおかしい。

 不労なのだから、額面に見合う付加価値を生み出した覚えはない。どう考えても、毎朝ゴミの収集に来てくれる人や、郵便物や宅急便を届けてくれる人。スーパーや薬局、コンビニ、図書館、病院で勤めている人の方が、社会に付加価値を生み出している筈だが、資本主義社会の歪な構造から、その人たちには大して還元されず、資本家が潤う。

 それを理解している人は、結果論で安全圏から批判するような真似はできない筈だ。今の当たり前な生活を支えてくれている人たちが、普段通りであろうと努めた結果が、悪条件で偶然振るわなかっただけなのだから。


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