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何事も引き際が肝心。


若者に冷酷な日本社会。

 過日、キ○ン氷結の広告として成田悠輔氏を起用したものの、あまりの苦情の多さに広告を取り下げる事態となった。事の発端はアベマの高齢者集団切腹発言らしいが、1年以上前の話題であり、今更感が強い。

 無論、株主としては炎上リスクを見越した上で、典型的な日系企業では真似できない、攻めた広告スタイルに舵を切った点を評価していたが、相次ぐ非難に屈したと思うと心象は良くはない。

 信念があるなら貫き通した方が、一時的には非難の標的となっても、長期的に振り返ってみると、却って価値が見直されることも多いからだ。私の本音に近い部分は、箕輪厚介氏が代弁しているので、そのまま使わせて頂く。

 さて、集団切腹発言そのものは、昨今のコンプラ地獄で角が立たない表現に徹し、自らの首を絞めているマスメディアに慣らされているパンピーからすれば、過激なものに映る。

 しかし、真意としては世代交代が進まないと、いつまで経ってもシルバーデモクラシーのまま、現役世代の意見が社会に反映されず、結果として多数派の高齢者が豊かに暮らすために、現役世代が重い税金や社会保険料を負担し、労働力の多くが医療や介護に消費されては、外貨を獲得するためのイノベーションが起きずに縮小再生産を繰り返す、若者に冷酷な社会が加速することに対しての警鐘だとも捉えられる。

世代交代が進まない、日本社会の縮図。

 失われた10年が20年、30年と積み重なり、「誰がこんな社会にした」と犯人探しをしては、竹中平蔵氏辺りをサンドバッグにするのがお決まりとなっているが、堺屋太一氏の言葉を借りると、

”しかしある意味では、(バブル期に)社会や企業の中核を担うべき四〇代から五〇代という年齢だった団塊世代が、この困難を日本全体にもたらした責任の過半を負うべきだといってもいいかもしれない。”

日本米国中国団塊の世代|堺屋太一,浅川港

 となり、一人一票の民主主義の意思決定プロセスに則れば、人口ピラミッドのボリュームゾーンである、団塊世代がこんな社会にしたと捉えるのが自然である。

”日本のバブルの真っただ中で、団塊世代はそれぞれ組織の中枢部分を担う年代になっていた。
〜中略〜
組織的にはもっとも力を発揮できる年代にいたことになる。彼らがどう行動するかで、個々の金融機関、企業、官庁、教育機関などがその方向を変えることができ、もっと賢明な社会変革、企業変革ができたかもしれないのである。”

日本米国中国団塊の世代|堺屋太一,浅川港

 バブル期にそれぞれの組織の中枢を担っていた団塊世代が、問題を先送りしては、現状維持を選んだ結果、現役世代がそのツケを支払わされているにも関わらず、その若者は現状、社会の意思決定から疎外されている。

 責任を負うのであれば、もはや世代交代くらいしか残されていないのは、火を見るよりも明らかだろう。

 しかし、責任の過半を負うべき団塊世代は、支払った額よりも遥かに多い年金を受給し、1割負担の医療費の恩恵を受けるだけ受け、タヒんで逃げ切る気満々。年間300万円ほど掛かる認知症治療薬も、30万円だけ自己負担で、差分の270万円は回り回って現役世代が負担することになる。

 一方で今後の日本社会のことを考えたら、いい加減、問題提起の土俵に上げるべきと、犬死に覚悟で若者の代弁者的な役割を演じた成田悠輔氏が、バッシングの嵐になっている現状が、いつまで経っても世代交代が進まない、日本社会の縮図そのものだと思うが、いかがだろうか。

何をするにも適齢期ってものがある。

 私はN○K受信料を支払いたくないポリシーのもと、放送法の受信機として定義される機器を所有しておらず、受信契約をしていないため、プロフェッショナルが観られない。

 そのため、友人宅でジ○リ会を視聴する運びとなったのだが、初見で私が「特別養護老人ホームジ○リやな」「これが噂の老老介護や」と感想を呟いたところ、友人がツボに入って吹き出した。

 10年前のドキュメンタリーで鈴木敏夫氏が言った「だって、やっぱりすごい人なんだもん。その人が、なんか花がしぼむの嫌じゃん」が現実化したかのように、明確な老いを前作との対比で感じたからだ。

 「適齢期」という言葉は結婚や出産以外で使われない印象があるものの、本質的には何をするにも適齢期ってものがあると私は考える。

 一般的に夢を追い続けることが許容されるのは20代までであり、30代になって花が開かないと、いい加減現実を見ろ。地に足をつけ。と周囲からの風当たりが強くなる。

 仕事に関しても、35歳転職限界説の真偽は別にしても、リスクを取ったチャレンジができるのが30代半ばくらいまでであり、その後の養育のことを考えると次第に保守的となり、これまで積み重ねてきたことの延長線上で生きる他ない人が多数派だろう。

 そう考えると、いつまでもイス取りゲームで、同じイスにしがみ付くのではなく、最適なタイミングで、適齢期の人にバトンパスしていくのが、世代交代のあるべき姿なのではないかと思う。


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