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ゴミや汚れに対しても複利の概念を持つ。


割れ窓理論で軽微な汚れも放置しない。

 三が日から地震、航空事故、商店街火災とカオスな一年の始まりとなっているが、私は多数派と同じ行動を取らないため、年末年始みたいな、いかにもな繁忙期には帰省しない。

 世間が休んでいる時には休めない元鉄道員の性で、ピークを避けて行動する習慣が染み付いているため、ほとぼりが覚めた頃合いまで、おとなしくじっとしているのが脱社畜後の基本姿勢となっている。

 株式市場に関しても、年末29日の大納会から、年明け4日の大発会まで相場が動かず、銘柄スカウターが便利なマネックス証券も、システム改修で年末年始はログインできなかったため、文字通り大したことはせずにダラダラと過ごした。

 一応、年末に上新電機(8173)の株主優待を活用して購入した家電が、年明け以降に届く予定だったため、すぐに設置できるように事前の準備だけは正月だが取り掛かった。

 とはいえ、整理整頓が苦手な性分であることを自覚しているため、そもそも日頃から物を増やさず、床掃除はロボットに一任する形で、自分自身は殆ど何もせずに清潔な空間を保つパワープレイを継続しているため、設置場所の確保も容易で、設置場所もサッと拭く程度の軽めの清掃で済ませた。

 そもそも大部分はロボット掃除機とはいえ、週に何回とかのペースで定期的に掃除していると、ぱっと見の印象では汚れのない空間が当たり前となるため、細かい汚れが目に付きやすくなる。

 洗面台のガラスなんかは典型で、普段水垢が付いていないものだから、付着すると違和感にも似た気持ち悪さを感じるため、その場でサッと拭き取る。元々水垢が付いていて当たり前な鏡であれば1つ増えたくらいで気になることはなく、トイレなんかも同様だ。

 いわゆる割れ窓理論で、犯罪にしても汚れにしても、たとえ軽微なものでも、一度許してしまうと次第にこれ位ならとエスカレートしては、いずれ収拾がつかなくなる未来が目に見えているため、軽微な段階から徹底することで、高い水準を維持することができる。

こまめな掃除習慣で大掃除を断捨離。

 高い水準を維持することは、先述の鏡のように、たとえ軽微な汚れでも、その場でこまめに掃除をする習慣の醸成に一役買っている。

 駅員時代、切符を買い間違えた時に払戻す条件として、その駅、その時、未使用が鉄則だったが、掃除に関しても、その場、その時、掃除用具未使用でも落ちる汚れのうちに片付けるのが、何だかんだでタイパもコスパも良いと考える。

 これは資産形成で重要な、複利のネガティブパターンみたいな感覚である。汚したその場で掃除すれば、ものの数分で、しかも専用の強固な合成洗剤を使わず、重曹かクエン酸のいずれか、もしくはその両方で済むことが多い。

 しかし忙しさにかまけて、週末にまとめてやろうとか思い始めると、肝心の週末は遊んでいたり、疲れて休んで掃除する気にはならないことが往々にしてある。

 そのまま気づいたら1年が過ぎようとしていて、焦って年の瀬に半日以上かけて、頑固な汚れと闘う羽目になっているパンピーは多いように感じる。

 仮に人生で毎年、年の瀬の大掃除で、休日が丸々1日潰れると仮定する。睡眠と炊事などの日常的な家事による、生活する上で回避することが不能な時間を差し引いた、可処分時間が人によるものの、8時間位は捻出していると思われ、年末に一気に片付けようとすると、大掃除に少なくとも8時間くらいの時間を割いている計算となる。

 しかしこまめな掃除習慣により、結果として大掃除そのものが必要ない場合はどうだろうか。計測したことがないため私個人の肌感覚で、サンプル数1の域は出ないが、週換算で、のべ5分程度しか掃除に割いていない。

 1年間は52週間だから、合計しても4時間20分。軽微な汚れを放置せずに、その場で掃除する数秒〜数分を割いただけで、概算でも3時間40分が浮く計算になる。

 裏を返せば、日頃から軽微な汚れを許しては、掃除を先送りして、結果として長期間放置したがために、年末に3時間40分を余計に消費する形の代償を支払っているとも捉えられる。これは汚れの利子とも捉えられないだろうか。

時間には保存機能がない。

 年末に4時間弱あれば映画を観たり、ついうっかり溜めてしまったタスクが、ひとつ、ふたつ程度は消化できそうなインパクトのあるまとまった時間である。

 掃除が趣味だから、1日がかりでやるのが楽しいから、それで良いんだと己を正当化するのは勝手だが、本当に趣味なら毎日やっている筈で、それならば、そもそも大掃除にならない訳で、構造上の矛盾を感じてしまう。

 あくまでも掃除は、やらずに済むならやりたくないことを前提として、いかにその労力を最小化できるか的な観点で考えた際に、日頃からこまめにやるのが最も効率的という、給与天引きなら貯蓄できる並みに当たり前な結論だが、マジョリティ層の多くが、その当たり前すら日常生活で実現できていないのもまた事実だろう。

 なぜ頭では最善の手法に薄々気付いていながらも、それができていないのか。そのギャップの正体は日常が忙し過ぎるからだろう。なぜ忙しいかは人にもよると思うが、時間がなさそうな人に共通しているのは、使途不明時間が多く、意識せずに時間を浪費している点だろう。

 時間とお金の性質には共通点も多く、お金の扱いが上手な人は、時間の使い方も上手い印象があるが、時間とお金の決定的な違いを挙げるなら、保存機能の有無だろう。

 時間は保存できないうえに、基本的には何人にも平等に与えられる唯一の資源だと鑑みると、使い方を改善する重要度が高いのは紛れもなく時間だろう。

 これらを踏まえた上で本題に立ち返ると、たかが汚れ如きで、人生の貴重な時間を費やすのは馬鹿馬鹿しいと思わないだろうか。だからこそ、労力を最小化する設備投資は必要経費だと考えるし、軽微な汚れを放置しない習慣や環境整備のために今、何ができるのか。それを考えるのに早過ぎることはない。


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