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労働は優秀な人に任せる。

耐乏生活の慣れは、不況をも乗り越える。

 私は世間一般の労働に対して良いイメージがない。日本人にありがちな、労働を美徳とするプロテスタント的思想家の念仏を聞くたびにうんざりするし、生活のために仕方なく賃金を得ているなんて取るに足らない理由を自分を言い聞かせようとも思えず、単なる罰ゲームだと感じている。

 これは恐らく大学に進学した同級生が人生の夏休みを謳歌しているのを横目に、高卒で入社した手取り13万円のブラック企業で、フルタイム労働者として社会の底辺に這いつくばっているギャップを、社会不適合者なりに感じていたためであろう。

 当時仲良くして頂いた7つ上の先輩の、給与明細や社内政治のポジションを目の当たりにして、自分が25歳になった光景を超現実的に想像すると希望のカケラもなかったため、組織人として順当に出世していく道はコスパが悪いと判断して早々に諦め、労働以外の方向で好転させる道を模索する段階に入った。

 その頃に、四角大輔さんの「自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと」と出会う。振り返れば、バブル期に米国を脅かす経済大国化し、未だにその頃の大量消費社会の幻影に囚われている、憐れな大人たちに育てられてきた私である。

 四角さんの生活費用や持ち物、人脈をいかにミニマムに削ぎ落として、自分にとって大切な何かにリソースを費やしたり、新しいことに挑戦できるだけの身軽さを確保する発想は斬新かつ新鮮だった。

 少子高齢化、景気低迷でシュリンクし続ける日本社会で生き残るのは、あらゆる無駄を削ぎ落としている奴だと直感した。

なんのために生まれて、なにをして生きるのか。

 実際、経営でも固定費用の多寡が、景気悪化で生き残れるか否かを左右する重要な要素とされている訳だから、ミニマムを突き詰める、言うならば耐乏生活に慣れるのが理にかなっている。

 それなのに、多くの人が実行に移さず、テレビ番組でミニマリストが面白おかしく取り上げられては、それを観て笑うだけなのは、CMの商品を消費して貰わなければ、スポンサーが集まらないからに他ならない。

 大衆は大して必要でもないような、取るに足らない物をあたかも必要で欲しいと、マーケティングに踊らされて思い込まされているに過ぎない。そうして生活費用が増大していくと、減給に怯えたり、生活残業に依存するようになり、資本主義社会の罠であるラットレースから抜け出せなくなる。

 労働の対価として賃金を得る、時間の切り売りでしか生計を立てる術がない我々賃金労働者は、生まれながらにして何人にも平等に与えられている、時間という人生で最も重要なリソースの大半を労働に捧げて浪費している。

 それも若くて健康的な、人生において何でもできる最も脂が乗った40年前後を、全部で2億円そこらで企業に売り渡し、人生の最期に時間やお金を有効に使えなかった自分に後悔するまでがお約束である。

 これでは「何のために生まれて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのは嫌だ。」と子供時代や親になって散々聞いたであろう、究極の遅咲きである、やなせたかしさんの某マーチそのままの、レーゾンデートルが見出せない嫌な人生を、自分の意志で歩んでいることになる。

 こんな筈ではなかったと嘆かないためにも、周囲に流されて何となく進学し、何となく就業したのであれば、今一度、本当にそれで良いのか自問自答した方が良い。

自分にしか出来ない仕事なんてない。

 「嫌なら辞めて頂いて結構、代わりはいくらでも居る。」この言葉は、私が高卒で入社した鉄道会社の新入社員研修で、誰かが不満を口にした時に、人事担当が放った言葉だ。

 新入社員を組織の歯車としか見ていない、ロクでもない会社に憎悪の念を抱いた一方で、言い得て妙だ。これを利用しない手はないと思った、サイコパスな自分も居た。

 GAFAの一角であるAppleは、創業者であるスティーブ・ジョブズさん亡き後、ティム・クックさんが舵取りを行っている。流通、財務、マーケティングが強みな彼の手腕で、Appleはイノベーションを提供する企業から、高い利益率を誇るブランド価値を提供する企業へと変貌し、企業規模の指標である時価総額は上昇の一途を辿っている。資本主義社会の観点でとても良い仕事をしており、ジョブズさんの代わりを十二分に果たしているだろう。

 今をときめくGAFAのCEOですら代わりが居るのだから、自分にしかできない仕事なんてものは幻影でしかない。それなら、労働するのは優秀な人、つまり、学校教育で良い評価を貰える能力を、遺伝や環境要因で備えている人。具体的には何かを覚えてそれを正確に再現する能力に長けている人たちに任せてしまった方が潔い。

 私のように労働者として適合しない人種であれば、能力に見合わない中流階級にしがみ付くのではなく、生活コストをミニマムにして、フルタイムで時間を切り売りせずとも最低限生きていけるだけの環境を構築することに注力し、優秀な人たちの足を引っ張らず、労働生産性を下げない生き方を目指すのが、お互いにウィンウィンではないだろうか。

 私みたいにストイックさを極めると、東京23区でも家賃込みで月に7万円もあれば、最低限度の生活ができるようになるが、そこまでストイックな耐乏生活を実践しなくても、多摩地域なら月7万円生活は十分可能だと感じている。

 月7万円であれば、時給1,000円のアルバイトで70時間。週に18時間程度と、無理に40時間働く必要がない。年金や健康保険料の絡みで単純にフルタイムの半分の労働でも生計が成り立つ訳ではないものの、正規雇用にしがみ付いた結果、心身を壊して再起不能になる位なら、必要な金額だけ、緩く稼いだ方が幸福度は高いかも知れない。

 また、老後資金の備えで2,000万円を若いうちに準備して、これを年率4%で運用できれば、年間80万円の金融資産所得が期待できる。これは、国民年金の満額である年間78万円に匹敵するインカムを得られるのと同義で、場所を選ばなければ時間の切り売りである労働をしなくても生計が成り立つ可能性があり、創作活動をはじめとする、お金にならない活動に挑戦することもできる。

 ゆるい労働、資産運用に限らず、月3万円程度の副業を複数とか、それらの組み合わせで社会に縛られず、独立した生き方こそが、変化の激しい時代に強く生きる術ではないだろうか。

 だから、前時代的な労働は、偶然にも片手間で高い成果を出せるような、優秀な人に任せて、私みたいな社会不適合者は、お金にならない何かを突き詰めるのが、近未来でデフォルトとなる生き様なのかも知れない。


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