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【ニーズ・コリオグラフィー】 Miki Kashtanのクラス 第11回目から

Miki Kashtanさんの(一人ひとりの中に必ずある)Leadershipを育む年間プログラムに参加しています。

去年の同じ年間プログラム中にミキが「ニーズ・コリオグラフィー」というコンセプトの話をし始めました。

ミキが立てた仮説は、私たち人間は、もともとは「ニーズ・ダンス」をしていたけれど、ごく一部の人を除いて「自然な分かち合い=自然な循環」から自らを断ち切り、気持ちの赴くままダンスをしているようだ。そして、お互いのニーズを大切にしている「ニーズ・ダンス」をすることを忘れてしまった、のではないだろうか?というもの。

だから、いまからやるのであれば、まずは「ダンス」ではなくリーダーやファシリテーターが全体のニーズを俯瞰しながら「コリオグラフィー=振り付け」をすることで、本来のダンスを取り戻す必要がある、という考え方。

この考え方を知り、ファシリテーターとしてニーズ・コリオグラフィーをすることで、そこにいる人のニーズをすべて出し、その上でそのニーズをそこにいる人全員で大切にする(hold, attend)ことを目指して名付けたものです。

今日はそれをデモでやってみよう、となりました。

参加者の一人がこの「前回、『次回ニーズ・コリオグラフィーについてもっと詳しく話すから、クラスのはじめにリマインドして』と言っていたのでリマインドします」と言ったことからこの話になったので、ミキがこの参加者さんと一緒にデモをすることになりました。

今日のクラスは、140人強が参加していました。その全員のニーズを大切にするために、どうしたらどんなニーズがあるかがわかるか?ということで、ファシリテーターがする語りかけや質問、今自分がどういうところにいるかの自己開示、そして質問を絞っていったり、質問の回答がしやすいように閾値を下げたり、逆に時間がない時にキュッと知りたい情報だけを得たりするために閾値を上げたりすることによってその感触、手応えを得ながらコリオグラフィー(振り付け、なんだけど、私に言わせれば交通整理のようでもある。ときどき動画で見る事故や信号故障の時に信号の代わりに踊りながら交通整理をする警官、と言ったところか?笑)をしていきます。

自己開示は例えば、ある程度ニーズ・コリオグラフィーのデモや参加者さんがニーズ・コリオグラフィーに挑戦してミキが「ちょっと待って、それはどんな意図で訊こうとしている?」とか、「それを訊くとどんな情報が得られると思っていっているの?」というコリオグラフィーのコーチングをして1時間経った頃に、全体の中から「もうこのニーズ・コリオグラフィーに関しては今日吸収できる充分なものを得て、これ以上は吸収できない」「これ以上聴くより、最初にミキが「今日は話したいことがあるの。『特権とインパクト』について」と言っていたそのトピックを探求したい」という人がでてきて、ニーズ・コリオグラフィーの話を続けるか『特権とインパクト』というトピックに移行するか、という場面になったときにミキが言ったこと。

その時、ミキは「わたしは別のトピックに移行するよりももうちょっとこのニーズ・コリオグラフィーをあるところまで理解してもらいたいという気持ちがある。だけれども、移行したい人が多ければ、それを受け入れてもいいと思っている。そして、私がここではファシリテーターという特権を持っているのを自覚しているので、わたしは移行したい人が多ければ移行してもいいと思っている、ということを明確にしておくわね。だから私の特権に気兼ねなく、自分のニーズに基づいて教えてほしい」というようなことを言って、自分のニーズや今の自分の立ち位置について開示した上で、yes/noで応えられる質問をしていきました。

こんなふうに、how toでは収まらない、多様な、それこそニーズ・コリオグラフィーそして、その後のレッスンはこのyes/noで応えられる質問をいかに作り出し、提示するか、というものになりました。

ニーズ・コリオグラフィーをする時には毎回yes/noの質問を使えばいい、というものではなくて、140人強がいるところで、一人ひとりの意見を聞いていたら収集がつかなくなるし時間とエネルギーを消耗するだけなので、この質問をしたら大体の感触がつかめる、という質問をしていくという感じです。

(yes/noの質問は、クローズドな質問、とも呼ばれます。逆のオープンな質問はwhat, howなどを使ったyes/noでは答えられない質問)

例えば、「新しいトピックに興味があってそちらを探求したい人はyesのボタンを押して」と聴くとか。ただし、私の推測ではミキは、yesの数と画面に映る人の表情や非言語の表現をみて全体のエネルギーを推し量っていると思うので、質問だけ整えてもうまくいくとは限らないのだけれど、少なくともツボを抑えた質問ができるということは、場のエネルギーも感知し自分のニーズがわかっていて場のニーズもある程度推測できている、という感じなんだろうなぁ、と思うような質問やコーチングがミキの口から出てきました。

このあたりは一語一句漏らさずに書いたら伝わるのか、それとも書いても伝わらないのかわからない。そして、書いたほうが伝わる可能性が高まるとは思うけど、それだとyes/no質問の例がでてきて、「そうか、この質問をすればいいのか(これが正解か)」となりそうなので、書かずにいようと思います。

そして、ご存知のように場は生き物なので、今日も面白いことが起こった。この起こったこともとても学びだし、それをきちんと言語化してくれることでミキは私たちに学ばせてくれました。

どういうことかというと、上述のように、ミキは「新しいトピックに移行したい人が多ければそれでもいいわよ」といい、yes/noで訊いたら、ミキが「充分な数」と思うだけの人が移行したい、といったのだけれど、そこまでのニーズ・コリオグラフィーの話をまとめようとしたら、質問がでてきて、質問に答えているうちに場がまたニーズ・コリオグラフィーへの関心エネルギーが高まって、時間的にも新しいトピックを始める時間ではなくなりました。

そうしたら、ミキが「面白いわね。いまはもう、新しいトピックに移行できるタイミングを失ったような感じがする。まるで、新しいトピックに移行できる時間枠があったかのように。いま移行しても、その後得られるものが移行にかかるエネルギーに見合わない」と言って、場が生きていること、その前にも少し説明していた「新しいトピックに移行する時には一旦エネルギーが落ちるのと新しいトピックを始めるためにエネルギーがいる。それがないと流れがなくなってしまう」と絡めて言語化しました。

この後、ミキがそれまでのデモで起こっていたことや伝えようとしていたことのまとめをして、小グループでの話し合いの時間になりました。

小グループでの話し合いは、わたしはよくクラスの中で発言した人たちのグループに入ることが多いのだけれど、今日もそうでした。

わたしを含めて4人のうち、2人は混乱している、といい、小グループの時間をその2人の混乱がどういうものなのか、ということを共感的に聴くことで統合する時間に費やしました。

小グループが終わったら、クラスで得たものや質問をする時間があります。

そこでも混乱していた人の感想や質問が出ました。

そして、私が興味深いと思ったのは、混乱していた人のほうがクリエイティブ(創造的)に解決策を提案する、ということ。

例えば、わたしがいた小グループでは、「『これはデモなんだけど、リアルタイムで一緒に迷いながら体感して』と言われたらわからなさにも堪えられたけど、言われていなかったから、デモをやっているのか、それとも迷子になっているのを観ているのかがわからなくなって核心を見逃しそうになった。なんとか最後までついてきたらこの時間で起きていたことがわかったけど」というような発言があり、「なにを見せているのか」を明確にしつつ進めないと迷子になる人がいることに気づいたり、他の人も「いまどの地点にいるのかわからなくなったから、Jamboardを使ったりwhite boardにダイアグラムを書きながら『ニーズ・コリオグラフィーといまやっていることの関係』などを明示してほしい」というアイディアが出たりして、「わからないほうが工夫されてわかりやすくなったり、死角になっていたところがみえるようになったりするんだなぁ」と、「わからない」という視点からのほうが「わかったつもり」より探究するし、それにより学びが深まるなぁ、と思いました。

このニーズ・コリオグラフィーに関しては、これからもミキが何度かトピックとして取り上げると思うので、もっと明確にわかりやすくまとめられるように吸収していきたいと思っています。

ちなみに、1月に出たミキの新刊、「The Highest Denominator」に書かれているConvergent Facilitation(収束するファシリテーション)という手法も、このyes/no質問も、どれもニーズ・コリグラフィーをする時に使えるいくつかある手段の一つ、という位置づけだと言っていました。


【2022年9月18日追記】

友人とやり取りをしていて、NVCでダンスをする、と言った時のニュアンスが伝わりにくいことに気づいたのと、この記事ではニーズ・コリグラフィーについては触れているけれど、ニーズ・ダンスについてあまり触れていなかったので、後日また詳しく書きたいと思いつつ、取り急ぎ友人に書いた文章を忘備録的に残しておきたくて一部文章を修正してコピペしておきます。

ニーズ・ダンスになっているとは、頭で考えなくても意識しなくても息をするかのように自然に身体が全身性を持ってニーズを、命を大切にしようとしている状態。

私の場合、身体を使うダンスは身体が動きたいように、命のエネルギーのままに、ができる感じがあるのと同時に、NVCであっても言葉を使うコミュニケーションになった途端に「教育された命につながっていない動き」になる気がしていて、それを解き放って実際のダンスに近づけていき、身体とコミュニケーションが一体(頭、身体、心が誠実になる=integrity=全体性)になり、ダンスそのものであるのを目指している。


(私がここでダンスそのもの、は、振り付け(コリオグラフィー)がない状態)

もうちょっと言葉を足すと、すでに体に備わっていることをこれまで使ってこなかった、使わないようにしてたので、ダンスするための筋肉が衰えているので、NVCでも他の手法でもいいんだけど、それで筋力を蘇らせる、その時に特定の筋トレをすると有効だし効率が良い、ということでステップだとかモードだとかってのが(本来だったら考えずにやれているはずのもの)あることを知って、とりあえずそれを利用してやってみる、が守破離の守で、それが使えるようになってきたら、だんだんそれを組み合わせたり自分のやりたいように試行錯誤しながらやってみる(破)、そして離がダンス。


ニーズ・ダンスになっているということは、命と身体とそれまでの経験が曇りなく全体性を持ってつながっているということ。

この域に行くことは、家父長制や懲罰的世界観、支配構造を経験して細胞レベルまで刻みついている私たちには難しい、だからせめてニーズ・コリオグラフィーを、というのがミキの話だったのだけれど、私はそれでも「ニーズ・ダンスをめざし」たい。


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