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サッカーほど危険なスポーツはない。【廣山望Vol.1】

廣山望の国際的移籍ドタバタ騒動 !Vol.1

今回はJクラブ代表の大嘘によって、サッカー選手としていちばん旬とも言える時期に移籍トラブルで翻弄されたケースを話したい。

千葉県市原市に生まれ、名門・習志野高から1996年にジェフ市原(現千葉)入りした廣山望は、プロ入りと同時に千葉大教育学部保健体育学科に推薦入学して 「Jリーガー初の国立大生」として注目を集めた。
プロ1年目から右サイドMFとして出番を獲得し、2000年までの5シーズンで120試合に出場した。

日頃から「海外でプレーしたい」と公言、そして日系パラグアイ人の代理人ロベルト佐藤と契約。
2001年1月にセロ・ポルテーニョ(パラグアイ)へ、レンタルではあるが念願の海外移籍が決まった。

南米大陸の新天地でも右サイドMFとして貴重な戦力となり、チームの「前期・後期完全優勝」に貢献。 この年の南米クラブ選手権(リベルタドーレス杯) に日本人選手として初めてプレーする栄誉に浴した。
リベルタドーレス杯で7試合出場・2得点・2アシストとまずまずの結果を残した。

そして… 、その後の2002年3月、廣山サイドは ブラジルのスポルチ・レシフェと契約を交わしたと一方的に発表。 しかし、在籍した3カ月間で公式戦のプレー機会は一度も訪れなかった。 労働ビザが下りなかったからだ。
ビザが下りないのになぜブラジルに渡ったのか… 。

レシフェ移籍に関して「千葉との契約は2002年1月まで。 契約満了後の移籍なので移籍金は発生しない」と主張する廣山サイド。
Jリーグの移籍ルールを楯に「あくまで保有権は千葉にある。 違約金(移籍金)1億円を支払わなければ移籍は絶対に認めない!」 と強硬に主張するジェフの岡健太郎社長(2016年2月に死去) 互いの言い分は平行線をたどった。

千葉サイドの主張する「契約満了後も30カ月の保有権を有する」というのは、 あくまで日本サッカー協会(JFA)のローカル・ルールである。
しかし廣山サイドの主張は、2001年9月にFIFA(国際サッカー連盟)が改正した移籍規約である「契約満了選手には移籍金(違約金)は発生しない」が優先される。

「違約金が支払われなければ何があっても国際移籍証明(ITC)は 日本サッカー協会から発行させない!」と強硬に主張する岡健太郎は、態度を変えなかった。

しかし最終的にはパラグアイサッカー協会からの申請に対し、日本サッカー協会はFIFAルールに従いITCを発給し、移籍は成立する。
※国際移籍証明(ITC)
ITC(International Transfer Certificate)海外クラブへ移籍するには どんな一流選手でも絶対に必要な証明書で保有権を持つクラブが移籍を承諾したことを証明する書類である。  

Vol.2へ続く。

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