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女性同士のパートナーを両親に持つ私が苦労した事 〜娘視点〜



まず最初に、私は2人の母親の事が心の底から大好きです。
私達3人家族は今も仲良しです。

ですが、マイノリティを幸せハッピーだけで語る事はできません。
当然苦労がありました。
私の苦悩の話をさせて下さい。

・性自認が曖昧になる



そもそも私は、性別というものを「男」「女」の2つだけにきれいに完全に二極化する事はできないと思っています。
でも、統計的に男性に多くみられる傾向と統計的に女性に多くみられる傾向があるように、やはり男と女の性別によって、それぞれ違いと特徴があるという事実もまたあると思っています。


私の母親2人は、俗に言う「女性らしい」という言葉があまり当てはまらない女性でした。
特に私を生んだ方の母親は、男性のような性格と男性のようなファッションをしています。


そしてそれと同時に、私は父親と暮らしてこなかったので、多数派の男性の生態もよく分かっていません。


つまり私は、俗に言う「女性らしい」女性も、「男性らしい」男性も知らないまま育ちました。


2人はバリバリ働いていたし、男性が女性を養うというまあまあよくある構図も私の家庭には当てはまりませんでした。


そしてこれはあまりよくない事だとは思うのですが、私の母親2人には少しだけミソジニー的なところがあると私は思っています。
例えば、陰口をよく言う職場の男性の事を皮肉っぽく「女の子みたい」と言って嘲笑したり、扶養に入っている女性について嫌味を言うようなところが正直ありました。


子どもの頃はその意味もよく分かりませんでしたが、今思うと聞いているだけで辛かったです。
その母親2人のミソジニーの影響を受けて今苦しんでいる部分もあります。

私は女性で、異性愛者です。
結婚にやたらと焦がれる、男性からサプライズでペアリングとかもらえたら喜ぶような、そんな女性です。
男性に甘やかされてにゃんにゃん甘えたい、そんな女性です。
そういう女性を私の母親2人は好きではありませんでした。
だから私は、長い事自分のアイデンティティが分からなくなっていました。
男性が好みがちな趣味を私も好んでいると、積極的にアピールするところがある子どもでした。

最近よく「これが男だとかこれが女だとか関係ない」といった言葉を耳にします。


それはもちろんその通りだと思います。


でも、異性愛者として、真面目に本気で考えて思った事があります。
どれだけ異性のそのパートナーの「性格が素敵」とか「お互いを第一に思いやれる関係になりたい」とか言ったところで、選ぶのは同性ではなく、異性なのです。
「性格が素敵」で「お互いを第一に思いやれる関係」になれるような同性も沢山いるはずです。
それなのに同性ではなく異性を求めるのは、やはり生物学的な性欲です。
「思いやり合える関係」などと言葉を重ねても、相手がもしも同性だったならばきっと目もくれてないです。
つまり相手に「男」「雄」を求めているのです。

私には「これが男」「これが女」という考えは、残念ながら心の中にあったようです。
男らしい人に、強い人に惹かれてしまうのです。
そんな自分が嫌です。
性別の枠などないと、そう思いたかったけれど、私は誰よりもきっと「男」を求めていました。
そしてその「男」に「男らしさ」を求めていたと思います。


そして「女性らしい女性」でいた方が、社会において有利になる事が多いと気付きました。
可愛らしくいる方が、職場においても有利になる事が多いと気付きました。
恋愛においても社会においても、可愛らしく従順に後ろからついて来る女性に需要があって、そうでなければ多々立場が悪くなる事を知りました。
とても生きづらいと感じました。

その一方で逆に、女性らしい事で忌み嫌われる事もあって、例えば、可愛らしいスイーツの写真を撮ってInstagramにあげたり、可愛く自撮りを撮ったり、リボンやカチューシャを付けたりすると、嫌な顔をしながら「女って本当そういうの好きだよね」と同性からも異性からも言われたりします。

例えば、彼氏からティファニーのネックレスをサプライズプレゼントされたいなんて妄想の中で思い描くだけでも、嫌な顔をしながら「女って本当そういうの好きだよね」と同性からも異性からも言われたりします。

私の母親2人も、上記のような女性があまり好きではないようです。
私も実はかつて、正直上記のような女性が好きではない1人でした。
私もまたミソジニーなところがあったのだと思います。
でも自分の正直な本音を見た結果、私は結局、男性に可愛い可愛いと言われて、いい女としてちやほやされてお姫様のように扱われたいと思っている、そういう女性でした。
自撮りも好きです。
でもそういう女性は同性からも異性からも嫌われる傾向にあって、かといって例えば母のように内面も外見も男性のような女性もまた受け入れてもらい難いように思います。
自分の居場所がない気がしました。

女性らしくあっても、女性らしくなくても、みんなに嫌われる。

マジョリティ、モデルケースになるようなマジョリティを知らずに育って、どう考えて生きていったらいいか分からなくなる事があります。
他の人が疑問に思わずに済む事を毎回毎回疑問に思ってしまう事があります。

そして、女性同士のカップルが娘を育てるという、誰よりもどこの家庭よりも「女性」に満ち満ちている家族構成にもかかわらず、両親のミソジニーな発言を聞きながら育った事で「女性」が何か分からなくなり、自分もまたミソジニーになってしまっていました。

「これが男だとかこれが女だとか関係ない」「性別は関係ない」とそう思う一方で、「女性らしい」「男性らしい」という概念もまた存在していて、「女性らしい」「男性らしい」という事自体が悪いわけではなく、ただその概念を使って相手になんだかんだととやかく言うのはよくないのではないかと、そう思いました。

みんながそのままで、楽にラフにいれたらいいのにと思います。

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