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 私の住んでいた町から丘をふたつ越えたところにその場所はある。
海沿いの団地と工場の並ぶ空間は、確かに今そこにいるときでさへ、まるで「どこでもない」ような匿名性を感じさせる。
この場所に初めて来たとき、日々を過ごす中で次第に失われていくものがあるのではないかという焦燥感や、今日という日が昨日の明日であると同時に明日の昨日でもあるという多元的袋小路に陥っていく悩みが消え去るのを感じた。
他の場所や時間とは切り離され、浮遊しながら沈みゆくような土地。
自分がなんらの責任も負わず、無責任に通り過ぎることを許容する場所。
静止し取り残されているようなこの場所で、どこでもない場所のだれでもない立場に逃避することは、なんと甘美で居心地のよいことだろう。

 しかし、それでも自分は逃れようもなく自分でしかありえない。
日々は否応なく歩みを進み続け、昨日の結果としての今日があり、今日の続きとしての明日がある。
「写真は現実の残滓なのか、それともただ幻想を写しているのだろうか」と戯れの問いを口に出しながら撮り終えたフィルムを巻き取っていると、ふてぶてしい顔の猫がしきりに鳴き声をあげてこちらを見ている。
「お前に訊いたんじゃないよ。これは私の問題なんだから。」
分かるはずもないのに猫にそう言い聞かせ、手を振って家路を目指す。

Leica M5, Summicron 5cm f2, Fujifilm C200, Lightroom CC モノクロ変換


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