義務と正義が分からない。

カント(1724-1804)の義務論が分からないので、調べた。
Wikipediaから引用。


カントは、理性によって導き出される普遍的な究極の道徳規則というものの存在を提起し、それに無条件に従うことが倫理の達成であると提唱した。
義務論者によれば、我々は健康で頭が冴える、理性的な時ならば、“それ自体で善いもの”が本当の善であり、それは“善い意志”であることを理解し理想するという。それ自体で善いものとは、何らかの目的の為の行為ではないということである。善い意志とは、「自己の信条が普遍的法則となることを、その信条を通して自己が同時に意欲できる、という信条に従ってのみ行為する」で表される(信条は格律とも言い、自己が意欲する規則のこと)。しかし、人間は短絡的な欲求などの様々なしがらみにより善い意志にかなった行為ができない場合が多い。そこでこの善い意志の行為を理性的なうちに義務とし自己に強制させておくことで、善い意志の行為化に接近する。こうすることで短絡的欲求や気まぐれに惑わされること無く善い意志による行為を最大限行為化できる。義務になると上記の文が命令されるかたちとなり冒頭のものとなる。こうして善い意志は人間においては義務的な道徳規則となった。
義務論をわかりやすく言えば、自分が行為したいことが、だれが、いつ、どこで、なにを、なぜ、いかに行為しても文句なしと自分自身が意欲できる行為ならそれを道徳規則とし、その規則に従うこと、である。ここで気を付けることは、あくまで自分が意欲できるから規則とすること、あくまで規則だから行為すること、規則を作る場合「~の場合」を付けるような例外条項にせず、いかなる場合でも指令されることが妥当とすることである。
                              (Wikipedia)

200年以上も前に提唱された義務論だが、
今でも、「義務論的な人」として使われている。

義務

【倫】風俗・習慣もしくは道徳・信仰等の要求に一致する行為。
【法】法律が制定し強制する行為。
                              (辞書)

義務論

ギリシア語の deon (義務) と logos (学問) を組合せた造語。道徳理論においては,ある行為が正しいということを正当化する根拠として,義務論と目的論の2つの立場に大別される。行為の価値は,その行為そのものの価値によって判断されるのであって,ほかに還元されるものではないとするのが義務論であり,行為の価値はその行為がもたらす結果ないしは目的によって判断されるとする立場を目的論という。

道徳的理論として義務の自律的正当化を行おうとする立場には古来,二つの対照的な傾向が看取される。一つは,義務をそれ独自の,他に還元されえない規範と考える義務論deontologyの立場で,もう一つは,行為の義務をそれが実現する結果,目的のよさによって決定され,目的への手段であるとみる目的論teleologyの見地である。後者は結果の内容とそれがだれに向けられるかによって,さらに快楽主義,利己(他)主義,功利主義等に分かれる。
                           (コトバンク)


正義

・正しいすじみち。人がふみ行うべき正しい道。
・(justice)社会全体の幸福を保障する秩序を実現し維持すること。
                              (辞書)

正義論

J.ロールズ著。 1971年刊。この著書によりロールズは政治哲学復権の旗手となった。ロールズは従来の正義論の主流であった直党主義と功利主義を乗越えようとする。そのために彼が用いる論証方法は,まず公正な選択が保証されるような理想的選択状況 (原初状態) を想定し,その状況で全員一致で選択されるであろう原理 (正義の二原理) を社会主義の基準として取出すというものであった。ロールズは社会契約説の伝統に合理的選択理論を結びつけることで,社会正義に関して合理的議論を行う可能性を開いた。
                           (コトバンク)


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