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#205 映画 『RRR』 ナートゥに学ぶ、グローバル・サウスの逆襲(ネタバレなし)

ナートゥをご存知か?

映画『RRR』より

 この台詞から始まる圧倒的なインパクトのダンスシーンで、第95回アカデミー賞(歌曲賞)を受賞したことは記憶に新しい。しかし、インド映画でありながら、本作のダンスシーンは非常に少ない。この、ナートゥを踊るシーンと、エンドロールの2箇所のみである。

 182分の長大な上映時間を使って語られるのは、英国領インド帝国時代における苛烈な差別や搾取と、それに抗うレジスタンスの物語である。前述のナートゥダンスも、欧州文化とは異なるインドの踊りがある。それを「ご存知か?」と尋ね、抜群のダンスを見せつける場面なのだ。

 恥ずかしながら、わたしの中でインド独立というのは、マハトマ・ガンジーによる「非暴力・不服従」と「塩の行進」を契機に、ある程度平和裏に行われたものだと思っていた。しかし、そんな訳はない。そこに至るまでの、血で血を洗う闘争があった、という事実を本作は示してくれた。

 高齢化が見えてきた中国と異なり、インドは人口構成が若く、これからもGDPを伸ばし続け、2027年にはドイツを抜いて世界3位となる見込みである。一方で、インドは複数の国が一つになった連邦国家でもある。巨大な国土の中に、様々な価値観が存在し、一言で言い表わすことは難しい。

インド経済は、IT大国、巨大な中間層、あるいはカースト制度による社会格差といった形で一般化されることが多いが、そもそも多様性に富んだインドという国を「インドとはこのような国だ」という断定的な表現で表すこと自体、無理である。

インドは地方によって政治も経済も文化も大きく異なる。また一口に「インド人」と言っても、宗教、言語、出身地、カーストなどによって大きく異なる。インド経済は象によく喩えられるが、もし目をつぶったまま手で触って象全体のイメージを摑もうとした場合、鼻を触るか、胴体を触るか、尻尾を触るかによってイメージは全く異なる。

同じように、限られた報道やインド人との接触だけで一般化することは、避けなければならない。

『インド ─グローバル・サウスの超大国』
近藤正規 著 中央公論新社
2023年9月25日 発行
※筆者にて改行のみ行った

 アジアの端にありながらも、西側諸国の一員として欧米的な価値観を持つわたし達が、侵しがちな勘違いがある。「民主主義と開かれた経済を持つ国とは、同じ価値観を共通できる」というものだ。

 しかし、その期待は甘すぎる。対話や取引は可能だが、価値観の共有は難しい。わたし達は、彼等と根本的に同じ思想を共有することはできない。インドは民主主義国家だが、政治体制の問題でもない。歴史に刻まれた、屈辱の深さの問題だ。もちろん、宗教観の違いもある。

 日本はかつて米英に挑み敗北を喫したが、彼等からアヘンを売りつけられたり、米や茶葉を収奪されたり、キリスト教への改宗を強制されたり、奴隷として売り飛ばされたりはしていない。戦後の日本人はむしろ米国の支配に適応し、西欧的な価値観を共にするようになった。(そして、その成功体験が忘れられず、米国は世界中で戦争を起こしては失敗した)

 ところで、紅茶はお好きだろうか?ダージリンやアッサムといった茶葉は、インドで産出される。しかし、その麗しい茶缶のメーカーは、どこの会社だろうか?茶やスパイス、コーヒーやチョコレート。宝石類や希少鉱物もそうだ。アジアや南米、アフリカの貴重な産物は、欧州の植民地政策により収奪されたものである。

 そして、現代においては独立国家であっても、搾取の構造が変わらない国がある。以下は、わたし達の暮らしを支える、リチウムイオン電池の材料のひとつであるコバルトの産地、コンゴ共和国についての一文である。

現代のコンゴ民主共和国は依然として貧しい。それは、社会を繁栄させる基本的インセンティヴを生み出す経済制度が、国民にとっていまだに欠けているからだ。

コンゴを貧しいままにしているのは、地理でも、文化でも、国民や政治家の無知でもなく、収奪的な経済制度である。

遠い昔から数世紀を経た現在でさえ、こうした制度が残存しているのは、政治権力がなお一部のエリートの手に集中しているからだ。こうしたエリートにとって、人々の財産権を強化したり、生活の質を改善する基本的な公共サービスを提供したり、経済発展を促したりするインセンティヴはほとんどない。

むしろ、収入を搾り取り、権力を維持することに関心があるのだ。彼らがこの権力を使って中央集権国家を建設することはなかった。そんなことをすれば、反発を買ったり政治的挑戦を受けたりといった問題をつくりだしてしまうからだ。

これは、経済成長を促すことによって生じるのと同じ問題である。そのうえ、サハラ以南のアフリカにおけるほかの大半の地域と同じように、収奪的制度の支配をもくろむ敵対グループが起こした内紛によって、存在したかもしれない中央集権化への流れが断たれてしまったのである。

国家はなぜ衰退するのか(上)
権力・繁栄・貧困の起源 
ダロン・アセモグル、
ジェイムズ・A・ロビンソン 著
株式会社早川書房 2013年8月15日 発行
※筆者にて改行のみ行った

 植民地支配を受けた国のうち、未だ人権状況が改善しない不安定な国家には「かつて欧州がやった収奪を、自国のエリート層が成り代わり継続する」仕組みがある。コンゴは自ら豊かな森を切り倒して輸出、最近ではコバルト鉱山での児童労働が問題視されている。

 これらがわたし達の目に見えないのは、世界中から原料を集めてバッテリーを製造する企業があり、それを組み込んで最終的に製品として販売する企業があるためだ。ちょうど、あなたのiPhoneのパッケージに書いてあるだろう。「Assembled in China」そして、「Designed by Apple in California」と。わたし達が立脚している現実を無かったことにする、素敵な目眩しである。彼等はサプライチェーンの末端から最終工程まで責任を負うべきだが、実際には知らないフリをしている。

 とはいえ、世界におけるグローバル・サウス ーかつては西側でも東側でもない「第三世界」と呼ばれた国々ー の影響力は増加している。注目すべきはインドだけではない。インドネシアやマレーシア、そして中東の各国を合わせた「イスラム教圏」も影響力を増している。

■世界の三分の一がイスラム教徒に

もうひとつ、インドネシアが重要なのはイスラム国家であることです。しかも、世界で最もイスラム教徒が多い国なんですよ。総人口の約八七%、約二億七〇〇〇万人にのぼります。

イスラム教徒は、爆発的に増え続けていますね。正確な統計はないのですが、少し前まで全世界で一六億人だったのが、いまでは一九億人に達したのではないかと言われます。

いずれ、二三億人とされるキリスト教徒を抜いて、世界の人口の三分の一がイスラム教徒になるでしょう。グローバルサウスの時代はイスラムの時代でもあるわけです。

『グローバルサウスの逆襲』
池上 彰 佐藤 優 著
株式会社文藝春秋 2024年4月20日 発行
※筆者にて改行のみ行った

 これが示すものは、「欧州的な歴史観が通用しない世界がやって来る」ということである。先進各国が知識と技術と金を与えて近代化させた、という見方は通じない。彼等は間もなく、奪われたものを取り返しに来るだろう。

 とりわけ、南アジアやアフリカは、欧州による収奪の歴史が根深い。また、南米の国には米ソ冷戦に翻弄された結果の反米感情もある。そうした国々に目をつけたのはロシアと中国で、特にロシアはアフリカのニーズを捉えた外交を行ってきた。先に引用した池上彰氏と佐藤優氏の対談本から、また引用しよう。

佐藤 先に紹介した二〇二三年七月の「ロシア・アフリカ首脳会議」で、プーチンがまさにそのことを指して「ロシアは投資をする」と言っています。

たとえばコーヒーですが、現在はEUの関税のせいで、豆のままでしか輸出できません。そこでアフリカの首脳は、現地に工場を建て、焙煎をしてアフリカブランドで売れば数倍の値段で売れると持ちかけています。

鉱物についても、リチウムを輸出するより電池に加工して輸出したほうが儲かる。新植民地主義でアフリカを援助だけの対象にして、アフリカ人に原材料の生産以外やらせない現在のシステムを、変えようというわけです。ロシアはアフリカ諸国からの提案を受け入れ、投資を行っています。

池上 これまでは欧米に資源だけ安く持って行かれたのが、自分たちでより付加価値の高い形にしてから輸出しようじゃないかというんですね。それはアフリカにとって、大きなメリットになります。

『グローバルサウスの逆襲』より

 ロシアがウクライナへの侵攻を行い、その戦争は決着を見ることなく継続している。次期米大統領がドナルド・トランプ氏に決まれば、ウクライナへの支援が絶たれる可能性もある。そうした事態は、わたし達にとっては脅威に思えるが、グローバル・サウスの国々はあくまで「戦争は悪」としながらも、もっと冷めた態度をとっている。

 ロシアによるウクライナ侵攻から1年後、国連総会でロシアを非難し、軍の即時撤退などを求める決議案が賛成多数で採択された。しかし中国やインドをはじめとした32カ国が、その採択を棄権した。(32カ国という数字は少数派に見えるが、人口ベースでも考えてみてほしい。中国とインドの2カ国で、世界人口の3分の1以上を占める)

 政治的にロシアとの結びつきが強い中国はともかく、インドは「どちらの肩も持たない」態度を示したのではないか。これこそが、グローバル・サウスが台頭する新たな世界観の象徴的な出来事だと思える。

 ところで、アフリカ大陸というのはものすごく大きい。地球の陸地全体の約20パーセントを占め、アメリカ・中国・インドを合わせた面積よりさらに大きい。いずれ「アフリカの時代」が来たらどうなるか、わたしには想像もつかない。

 映画の話に戻ろう。『RRR』を既存のジャンルに分類するならばアクション映画だ。その描写はリアリティよりも外連味を重視しており、観客にとっては「ねーよ!」という展開の連続。物理法則を無視したトンデモ描写も多いが、その歌舞伎っぷりが世界にウケた。

 しかし、作品内で度々描かれるインド人への差別的な扱いもまた、記憶に残ることだろう。米国が映画で歴史を物語(ナラティブ)化していくのと同じやり方で、インドは文化的にも反撃を開始した。

 「ナートゥをご存知か?」わたし達に隠されていたグローバル・サウスの現実が、各国の経済・文化的発展とともに顕になる。あらゆる国が「ご存じか?」と語りかけて来たとき、わたし達はどう受け止めるべきだろう。それが世界を分断させるのか、相互理解が深まり、世界の安定に寄与するか。

 日本は低成長が続き、経済格差が広がり、世界のことなど考える余裕もない状態が続いている。わたし達は遠くの戦争よりも、身近な経済の不平等に怒りを覚えている。

 しかし同時に、サウスの国々からは収奪する側(西側諸国の一員)として見られてもいる。わたし達は、不平等の怒りをどう扱えば良いのか。答えは見えない。ただし、欧米中心の歴史が書き換えられていくことは、間違いないだろう。

 記事は以上だが、もし内容に共感いただけて、わたしにコーヒーを奢ってくださる方がいるのなら、購入(投げ銭)していただけると嬉しい。

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