【るんるん】_133 純愛について

私は次にする恋を純愛でありたいと思っている。
これを話すと意外にも多くの人が純愛について聞いてきたのでここに記そうと思う。

純愛とは何かを言葉で表すことはほぼ不可能だが、私が言葉にするのなら「誠実であり」「見返りを求めない」ことだと思う。
そしてもっと正確に、もっと多くの言葉で純愛について問うのであれば聖書を超えるものを私は知らない。だから答えは聖書に書かれているし、私はそれこそが純愛であると信じているから、知りたいのであれば読めと言いたい。

だからその中から1つ抜粋する。

章題「愛」
そこで、わたしはあなた方に最高の道を教えます。(中略)
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。(中略)
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

コリント人への手紙I 13:4-8

私が最初これを読んだ感想は無理でしょ。という感想だった。

だって上の抜粋文をこなせる人は人間を逸脱していると思う。
でもそれが愛だから人は悩み苦しむんだと思う。
ついでにだからこそ私は聖書が嫌いだ。言ってる事は分かるけど実行できる気がしない。


私自身何が誠実であるかも明確に分かっていない。
でも完璧に誠実になる事は不可能であると知りながらも、誠実であり続けようとする事が誠実であると言える根拠にはなると信じている。

同様に私は愛を知らない。分からない。だが愛そうとする事を諦めてはいけないし、清く善良な愛を与えようとすることを続けることが純愛であると信じている。

今の私にはこの言葉を貫き通せるほどの知恵も力もないが、少なくとも過去の私はこれに近いことをやってこなしてきたので、きっとまたできると思う。


チグハグな文章だが、まとめると「自分勝手な善悪を持たず」「誠実であり続け」「平穏で豊かな日々」をお互いに満たし続けることが純愛…のようなものだと思う。

聖書はキリスト教の信仰とか関係無しに、愛について良くまとめ書かれた本だと思うので興味があったら読んでみて欲しい。

たくさんの章があるので迷うと思うが、個人的に好きなところで読みやすいだろうと思う場所は「新約聖書 ヨハネの手紙」だ。
良くも悪くもキリスト教について比較的短くまとめられ、今回のテーマの愛についてよく書かれているからおすすめしたい。

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