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年収は男性の価値か

ジェンダーレスな社会の創出が国際的社会の課題の一つになっている昨今でさえ、いまだに「○○らしさ」が求められている。

一般にジェンダー問題では、「女性らしさ」によって女性が不利な立場に立たされていた。日本では平塚らいてうらが女性の人権について声を上げて、その約80年後に男女の雇用機会の平等が成し遂げられた。それが世の中の当たり前となるにはさらに時間がかかった。

だが、現代ではどうだろうか。不利なのは男性の方ではないだろうか。男の価値は年収に現れる。起業家や投資家でもない限りは、男に生まれた瞬間から1円でも年収が高い会社に入社して、安定して稼ぎ、仕事を決して辞めてはいけないという風潮に晒される。そのせいかマッチングアプリでは実際の年収よりも200万ほどかさ増しして載せている人もいるらしい。その稼ぎがあるかどうかという心理的ストレスは男性の自殺率が女性のそれより約2倍高いという統計もある。

結婚においてもそうではないだろうか。
告白は男性側からするものであり、
男性は女性をリードするものであり、
一歩引いた女性を求める男性はどんな目で見られ、
一家の大黒柱は男性の務めである。

こうした世の風潮から、男性は自信があることとそれを支える年収があることでしか世の中では価値を見出しにくいのではないか、と考えている。自分の優秀さを示す術がはっきり言って収入しかない。言い換えれば、男の価値は数字に表れるので、低いやつは恋愛においても土俵に上がってこれない。

最近では女性の社会進出が増えてきており、共働きが一般的になりつつあるので、以前ほど収入を気にする必要がないという見方を示すものもいる。だがそれによって専業主婦は特権階級になったとも見ることができ、より一層専業主婦に対する憧れが強まったとどこかの誰かが言っていて、首がもげるほど頷いた記憶がある。

そのことで問題となっているのがモラハラの問題である。以前まではモラハラとは男性社会での出来事であった。それが上司と部下のコミュニケーションのひとつであり、耐えることの対価として収入が得られた。

しかし今では女性も働くようになり、高収入な女性が増えている。そのため、家庭を持っている人の中には女性から仕事について文句を言われたり、家庭での働きぶりに対してケチをつけられたりする。要は収入が少ないのは「あなたに能力がない」ということを逃げ場のない環境で言われるのである。

特に男性は収入を見られるケースが多い。女性がなんとなくで提示する年収の多くはいつの時代を基準に選定しているのか、と些か疑問に感じるが、男は稼ぎはあればあるだけいいという考えに真っ向から否定することができない。要するに、自分の価値の数値である年収にケチをつけられるということは男のプライドに直接ナイフを刺す行為であり、そのストレスは計り知れない。

こうした環境に否応なく身を置かれる男達は男同士で争いあう一方で、恋愛では女性の求める「普通スペック」という足切りにあう。この「普通スペック」の中には身長などの身体的な特徴もあり、どうしようもない事柄で土俵から否応なく下ろされる。私はこういう話をしばしば聞くたびに、日本の差別の酷さに言葉を失う。

だからと言って、男性は女性にも同じことを求めても問題がない、ということを何もいいたいのではない。そして、全女性を疑ってかかっているわけでもない。

ただこの事実にどこか頷けてしまう社会は異常ではないかと思う。

特にマッチングアプリは問題を大きく広げる要因のひとつである。マッチングアプリの考え方は時代にマッチングしている。SNSが発達している中で、「普段会えない人と会う機会を設ける」ことがコンセプトにある。

だが、事実上の経済格差を露呈させている。男性は年収と女性が好みそうな趣味を無機質な文章で淡々と綴っている。そして女性も本当に実在するんだろうかと思いたくなるような綺麗な人が、漫画の中でしか見たことない職業についていることだって当たり前である。マッチングアプリ内にいる医者の数が実際のそれを超えているというのもスペック恋愛の弊害である。

こういう考え方が蔓延しているのは、生活にお金が必要だという否定できない事実があるからだ。だが、本当に大金である必要が果たしてあるのかという根本的なマネーリテラシーについての意識の低さも問題であるように思う。マネーリテラシーの低い人ほど自分の生活を彩る方法をお金で解決する傾向がある気がする。

つまり何が言いたいのかというと、年収が男としての魅力の数値に直結しているという偏見を何とか消したいということである。

年収が高い人がすごいのは仕事面である。その仕事ですごくなるために、たいていその人はどこかが削れているのである。それが社会的地位を上げるために共感力をある程度削っているかもしれない。または、仕事をテキパキとこなせる情報処理能力を培ったせいで、私生活でも緩さを認めないかもしれない。

私は現時点で稼ぐのがかなり下手くそである。向かない仕事に興味を抱いて飛び込んでしまったり、向いてる仕事はすぐできるようになって飽きてしまったりと、社会不適合者のレールを突き進んでいる。故に恋人ができる気配が感じられない。恋人よりも収入源とマッチングしたいものである。

その点で言えば、私は弱者にあたるのだが、その反面圧倒的な時間と心の余裕が他者よりもある。人が話していて揉めるような部分に対して冷静でいることができる。また、誰かの手伝いを肩代わりすることができるほどの余力が常にある。私にとってはこれくらいが一番幸せに生きていられるのである。

試しにマッチングアプリのプロフィール欄から年収の項目を消してはどうだろうか。年収が「人としての出来栄え」に直結するという見方を多くの人がしているかもしれない。しかし、年収で人を判断するのは限界がある。プロフィールに記載する情報が多いと安心するかもしれないが、考慮する内容が増えすぎると、結局誰も選べないのである。

それに収入が多いから幸せという社会ではない。高収入はそれと引き換えに何かを失っていることが多々ある。実際、高収入な人ほどサイコパスの傾向が強いということが心理学の実験で明らかになっている。かつてのモラハラはモラハラの要素があるからこそ高収入になれたとも言えるかもしれない。

自分にとっての本当の幸せはどこにあるのか、自分や相手のプロフィールではなく、自分の内面を見つめてみてはどうだろうか。

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