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あなたは多様性を認められるか

SDGsの設定によって、世界で「多様性」を認める風潮が強くなってきている。その流れに日本も乗りつつある。

特に言われるのがジェンダー問題である。「LGBTQ+」と言われており、私たちの生活の中でも、単なる男性と女性だけで区別することが違和感に感じる瞬間が出てきた。日本はジェンダー差別が根強いことで有名で、履歴書の欄にいまだに性別を記入する項目を設けている。この欄がなくなるか否かは日本のジェンダー問題が解決したかの基準の一つとも言える。

こうした多様性を認めることは一見するといいことであるが、すぐにイエスが言えない事情が多い。だが私たちの世の中が多様性を完全に認めた社会なった場合、どうなっていくのだろうかと素人ながらに考えてみたい。是非最後までお付き合い願いたい。


まずとっつきやすいところで言えば、他人の意見の尊重の問題である。今も「それはそうだろ」と思うかもしれない。極端な例で言えば、現代文の答えが一つに定まらなくなるかもしれない。現代文の解答は無限に存在する感覚になるのは、言語そのものの難しさもある。ただそれ以上に文章読んだ時に、自分の文章に対する意見が多少混じることによる。それ故に、選択式なら答えられるが、記述では答えることができない人が続出する。記述対策の勉強をした時は、今までの学校の国語の授業はなんだったのかと考えさせられた。

もちろんジェンダー問題も想像以上に複雑である。今の日本のような、男性が大黒柱として稼いでくるのが当たり前ではなくなるかもしれない。男が稼ぎ頭の女のために家庭に尽くすような事態が出てくるかもしれない。その時に序列が出来てもいけない。「稼いでくるんだから、家のことを完璧にこなせよ」と一昔前に女性に対して放たれていた男性の言葉を、このような社会では女性が男性に向けて放つというモラハラが誕生しかねない。

そこにセクシャルマイノリティが絡んでくる。セクシャルによる住居拒否するような管理人がいなくなり、男性同士の家族の隣の世帯がトランスジェンダーのカップルという光景が普通に広がるかもしれない。そして、性の悩みもセックスレスという言葉が死語になる可能性すらある。なぜなら、性行為欲がない人も認知されるようになっていて、セックスを拒否しても「そういうこともあるよね」と言った会話で済むだろう。離婚の理由にセックスレスはパンチが弱いとされる日が来るかもしれない。

また人生の生き方のフォーマットも大きく変化するかもしれない。大学卒業後、いかにいい企業に行くかで悩む学生の数が次第に減り、代わりに隙間時間で稼いで無理ない生活を悠々送ろうとする人が多くなる。これを見てだらしないとは思うことなく、むしろ「そういう生き方も素敵だよね」と笑いながら収入による偏見が取り除かれ、本当の意味での自然体なカップルが現れたりするかもしれない。


と言った具合に私の偏見マシマシで書いてみたが、いかがだろうか。

多様性の恩恵を預かるためには、自分の多様さをまず自分で理解するところから始まる。そして、他人の多様さを受け止める受け皿を自分の中にも用意しなくてはいけない。「自分にとって変だな」という気持ちを持ちつつも、その相手のことを受け止めていくことが社会規模で求められる。

こうした話に対して別にいいやんと流して片付けてしまう人もいるかもしれない。だが、本当の問題は別にいいやんとはならない人を別にいいやん側と別に良くない側双方が受け止め合う関係をどう築いていくかなのである

そして、私は今の忙しない社会にその余力があるようには思えない。ここら辺はあまり詳しくないので、これから私自身も専門的な知識を少しずつ勉強していきたい。

いずれにせよ、多様性を受け入れる社会を作るのであれば、大人が仕事に関係ない分野に対しても学習し続けることが求められるだろう。そこで求められる勉強とは単なる暗記ではなく、知識に対して自分がどう受け止めたかの思考と、自分と違う感覚を持った人との妥協点はどこにあるのかを探り続ける探究心がある程度必要だと思う。

こうした努力をなぜしなくてはいけないのか。それは今の価値観からはみ出て苦しい感覚を持って生活する人がいるからである。

多様性は多くの人が悩まないようなところで悩む人を救う最後の希望なのである。

ぜひ他人事にすることなく、自他の情報整理を始めてみてはいかがだろうか。

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