丸山正樹(2018)「龍の耳を君に」東京創元社

「デフヴォイス」が出たときは、こういう取り上げ方があるんだーと思ったものだけれど、今回はその続編が出版された。出版されたとき、アメリカにいて、そのあと帰ってきて手に入れたけど、アメリカで課題が見つかって読むものがたくさんありすぎて、結局今頃になって読んだ。

主人公は、コーダ(Children of Deaf Adults:親がろう者の子ども=手話が母語となることが多い)で、前作で手話通訳士として仕事を始めた男。自身の出自から、ろう者とそのコミュニティについて複雑な感情を持ちながら、手話の仕事をしている。

この本について、「事件」の解決という意味でのネタバレは以下には書かないつもりだが、この作品が使ってる「しかけ」のネタバレにはなると思うのでそうしたものを読みたくない人は以下は読み進めないでほしい。

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前作でも、ろう者の手話が手話通訳を介してもしっかり通訳されないという問題を扱っていたが、今作もその問題を扱っている。言語のズレ、マイノリティの発言が対等に扱われないという問題。

今作は、前作以上にろう者が饒舌に話すのだが、それをコーダの手話通訳士は饒舌に訳してみせる。すると「本当にそんなことを言ったのか。おまえが付け足してるんじゃないのか」といぶかしがられる。理解できない言語でなにが話されているのかは、外からはわからないので、たしかにでたらめを言ったり、情報を付け足したり、取り除いたり、言い回しをより有利に働くように、逆に不利に働くようにも操作できてしまう。この「しかけ」をしかし、通訳は使わないように注意を払って仕事をしている。それがプロフェッショナリズムというものだ。

とはいえ、この通訳、ろう者コミュニティに片足つっこんで産まれてきたので、ろう者に感情移入をしないわけにもいかないし、感情的な対立に巻き込まれてしまうこともある。それで落ち込んだりもする。なによりこの通訳者、ドラマの主人公なので、勝手にコネを使って探りを入れたりしちゃう。まあこれはテレビドラマの事件ものでもよくある「アレ」だ。

今回の作品には、聴覚口話訓練だとか、早期中途失聴者の手話に対する思い、ろう児の寄宿舎、聾コミュニティの狭さなど、業界の者にとっては身近であるが、これまで業界の外ではおそらくほとんど取り上げられてこなかった話題が盛り込まれている。

しかし、もっともおもしろいのは、場面緘黙症の少年に手話を教え、その少年が自分の言葉を得て、事件の解決に一役買うという「しかけ」である。この少年はまぎれもなく聴者なのだが、一方で饒舌に語れる自分のことばを持っていない。手話と、通訳を介することで、ようやく外に通じる語る言葉を得るのだ。

手話はろう者だけのものか? という問いに対し、たとえば手話歌を楽しみたい人たちや、手話サークルで声を出しながら手話をする人たちに対しては「手話の持ち主はろう者なのだから、ろう者の意見を尊重すべき」と答えることもある。これは、彼らがろう者に「よかれ」と思ってやっていたりするから、それは別に「よくない」「通じてない」「情報の発信の仕方がまずくて勘違いされたら困る」という話のようだ。実際、「手話」は他の言語と同様にひらかれたもののはずだ。ろうでなければ使ってはいけない、という意味で「声を出す手話はちょっと」とか「手話歌は…」と言っているのではない。手話の文化を尊重するなら、ろう者は受け入れてくれる。手話コミュニティで、音声言語の吃音があるが、手話ではないので、手話を自分の言語として使っていて、手話コミュニティに出入りしていると楽だという人に会ったことがある。自閉症者でも、情報が取り込みやすいという理由で手話を使う人がいると聞く。

本作、作者の丸山正樹さんは、前作以上にろう者をとりまく社会の問題について勉強されて、入れられるものをどんどん取り入れていったのだと思う。実は私も前作が出た頃に手話の世界に関わり始めたので、「私も負けてられないな」と思ったのであった。

言語の問題は根深い。知る人が少ない言語について、その言語で語られることについて、正確に人に伝えるということは、とても難しい。本作、脚色はあるけれど、「間違って」はいないと思う。だから、自信を持っていろんな人におすすめしたい。

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rhetorico

Rのポスドク手話/言語学研究者。3歳児の連れ。こちらには長めの文章を書いたものをとりあえず集めておきます。

日がな一日言語学

認知言語学者の日常的ことば遊び場的ななにか
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