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台所でためる自分だけの至福な時間

私は一日の中で台所にいる時間が一番長い。
朝ごはんが終われば夕飯の献立てを考えて、それが終われば、また翌日の朝ごはんを思い浮かべる。繰り返される選択、毎日続く作業。
台所仕事のように暮らしの中で長い時間をかけて積み上げられる家事は、時に億劫で義務的なタスクのように感じてしまうことがある。前向きに台所に立てる日ばかりではないからこそ、好きを詰め込んだ自分だけの空間で作業できたら至福に近い感覚で台所仕事ができるかもしれない。
と、最近意識して台所時間に取り入れている自分のための工夫について話してみたいと思う。


適当に済まさないお昼ご飯

基本的には、前日の晩ご飯と朝食の残りが私の昼ごはん。昼のうちにできる夕飯の準備を済ませてしまうことはあるけれど、自分のお昼のために改めて料理をするということはしない。そんなお昼を至福の時間にするために私が楽しんでいるのは器づかい。何に入れるかで料理の見え方や食べる人間の心持ちは変わってくる。いつものお昼ご飯に好きな器を使う時間という楽しみを加えてみると、口に入れるのは残り物のおかずでも気分はちゃんと自分時間。
私は焼きおにぎりが好きで、冷ご飯を握力任せに丸く握って味噌を塗りそのまま魚焼きグリルにイン。焦げ目がつく頃にはおにぎりの真ん中の方まで熱が通って温かくなっている。昼の自分のために、朝食の味噌汁は少しだけ多く作っておくのも最近マイルールになった。

味噌焼きおにぎりが大好きで
曲げわっぱも普段遣い
焼き味噌おにぎり
これもまた焼き

割り切って、ながら料理

夕飯準備の時間は特に、何かと声をかけられ作業を中断せざる負えない。子ども達はすでに帰宅しているので、取り組んでいる宿題のチェックをしてーだの、音読聞いててねーだの、サインして―だのと。小学生が3人いるとなると、台所での作業中断のたびに手を洗って拭いてと、子ども達が宿題を終えるころには手拭きがびっしょり。 
できる限り宿題は近くで見守っていたいと考えていますが、終わるのを見届けてからだと今度はうとうと眠気に襲われるメンバーもいるので夕飯づくりはもっぱらながら料理が多い。

こうなったら、途中で手が止まってしまうことにイライラしてもしょうがない。夕飯は何かをしながら料理の時間と自分の中で設定してしまえば、作業が中断しても「だってながら料理」の時間だもの、と割り切って台所に立てそうだから。それなら更なるながらを追求しよう、と最近は考えている。よく家事中にvoicyを聞いていると、子ども達の声に覆われてパーソナリティさんのお話が耳に届かないことがある。でも、別によし。すでに一度聞いた話を再生することにしているので、あらすじを掴めている話題ならところどころ聞き逃してもいい。何かをインプットするために聞くのではなくて、料理をしながら自分の好きな空間を作っていく感覚で再生している。
また、最近は食器棚の上に雑誌を広げて料理をしながら眺める。本当であれば読みかけのエッセイ本を開きたいところだけれど、気持ちの比重はあくまでも料理に寄せておきたい。雑誌の写真やそのコメントくらいであれば、煮物をくつくつ鍋で煮込む間に眺めていても料理を焦がしてしまうなんてことはないと思っている。

雑誌のスキなページを開いてちらっと眺める
途切れ途切れでも楽しみな時間

隠れ場所をつくる

これは最近やってよかったと心から思っていること。食器棚の向きを90度かえたことで台所とリビングとの境界がくっきりと見えるようになった。棚は私のみぞおちくらいまで高さがあるので、いすに腰掛ければ棚の後ろに姿を隠すことができてしまう。スツールをそこに置けば私の隠れ場所の完成だ。「おかあさん休憩ですよ~」誰にも見えない自分になってふぅ~と一息体から要らないものを出すように大きく深呼吸している。たまに子ども達には内緒でチョコレートをつまんでいることも…

スツールを置いています

私は、本当であれば静かな空間で料理を作りたい人間だと思う。料理は嫌いではないけれど、たぶん、集中して料理できる時間が好きなのだ。あれにしようかこれにしようか、迷い選ぶ時間も本当であれば好きだし楽しみたい。でも、実際にはそういった時間がいつも手に入るとは限らない。二つ、時には三つのことを同時並行してこなしていかなければならないから、料理はタスクだと感じることもある。全力集中ができないのであれば、ながら料理の時間だと割り切ってしまうことで逆に自分時間を楽しむことに目を向けてみたらいいのかもしれない、と思ったお話でした。

皆さんが自分時間として楽しみたいことは何ですか。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。スキ、をポチっと最後にいただけると大変励みになります。

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