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40年前の記憶

年齢がバレてしまうのでお恥ずかしい限りですが

40年前の記憶が蘇ってきたお話

とても不思議な話

私が小学校一年生の時

幼稚園の年長だった時の担任の先生が
結婚されたという知らせを聞いて友達5人子どもだけでその先生の新居に遊びに行った

その当時親同士で計画してくれて電車を乗り継いで行った記憶が今でも鮮明に覚えている

ただどの駅で降りたのかは覚えていない乗り継ぎの電車を思い出した時に
どこの方面へ行ったのかが予想できる

駅からは先生がお迎えに来てくれたので
お家までの道順までは覚えていないが
大きなお家の前に公園がありそこで遊んだ記憶も蘇る

今回何故そんな記憶が蘇ったのかというと…

数年前に

ママ友の新築お祝いに遊びに行った時に

40年前の記憶が蘇った

一度来た事ががある…

ここに公園があるよね?
そう尋ねると

そうそう公園ある

と返ってきた

怖くなった
まるでデジャブのようだ

そして何故今回このような記事を投稿したかと言うと

娘の塾の送り迎えでそこの近くを通って
思い出したのだ

この記憶の根源は?

数年前にママ友のお家へ行った記憶〜
小学校一年生の時に先生のお家へ遊びに行った記憶

人の記憶って…

嬉しい事も悲しい事も
あの時の思いも出来事も
覚えている?いや蘇る?
忘れていない?
どの言葉が正解かわからないが

何かのきっかけで記憶は蘇る

もしかして死の間際まで
鮮明に覚えているのかも知れない

そして死んだ後の世界でもある一定の期間は記憶として残っているのかも

ある方がおっしゃっていた

死んだ後も持っていけるものが2つある

1️⃣辛かった時の記憶
2️⃣人の役になって喜ばれた記憶

あの世に金も地位も名声も持っていけないなら
何を持っていく?

そんな事を考えていたら

過去の出来事も記憶も本当は忘れていない

コロナの後遺症が酷かったとき
私は認知症になったと思った
このまま私は孤独になって…
死ぬのか…

人は記憶は忘れ
孤独になった時に死ぬんだとそう思っていた

だから孤独になるのも
死を感じるのもすごく怖かった
恐怖でしかなかった

死は誰でも訪れるもの
死と背中合わせで生きている
強く生きろ‼️とは言わない思わない

死から逃れられないらのなら
向き合うしかない

そうやって見えてきたものが
少しずつ動きだす

間違いなく私は死へ一歩一歩と進んでいる

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