見出し画像

【製本のある暮らし】 西洋書道のたしなみ。



綴人の note にお越し頂き、ありがとうございます。


私の生活の中に製本が深く浸透していますが、じつは製本よりも長い付き合いになるのがカリグラフィーです。そのキャリアは30年以上になります。

カリグラフィーを知らない人に説明をする場合、西洋書道ということがあります。カリグラフィーを直訳すると、「美しく書かれた文字」となりますが、その語源はギリシャ語の美しい(calli)と書く(graphein)です。
また、幾何形や植物や動物といったモチーフで文字を彩飾(イルミネーション)することもカリグラフィーと呼ばれることもあります。

現在、イルミネーションというと電飾の事をいいますが、元々はカリグラフィーで金箔を施した彩飾のことだけを指す言葉でした。それが金箔以外の彩飾にも使われるようになり、金箔の輝きから電飾の輝きへと使われるようになりました。


私のカリグラフィーとの出会いは、前出の記事をご覧ください。⇩



毎年、クリスマスの時期にあわせ、カリグラフィー愛好家の集まりである新潟カリグラフィー工房の作品展を、新潟市のブルー・カフェという喫茶店で開催しています。

私もそのメンバーの末席に在籍させて頂いている関係で、出品をいたしました。今年も盛況のうちに終了することができ、また来年に向けてメンバーの士気も上がりました。

今回の出品作をミンネにて展示を開始いたしました。より多くの方の目に触れるように、また、新潟カリグラフィー工房の存在を知って頂く一場になればと思い掲載させて頂きました。





さて、西洋書道(カリグラフィー)の私における効用ですが、精神の安定と自信につながっていると言えます。
製本での綴じ作業同様、癒しの効果が絶大です。座禅に通ずるところがあります。

「今ここ。」

この言葉がピッタリ当てはまります。何ものでも、何事でもない、今ここ。
自宅にいてこの心境が味わえることはこの上ない幸せです。

先でイルミネーションの説明をさせて頂きましたが、現在のカリグラフィーのイメージはきらびやかな装飾の派手なイメージがあります。しかし、私の好むカリグラフィーは、黒などの一色で書かれた質素なものです。
出来上がった作品というよりは、書く行為そのものが好きなのです。日本の書経と同じで、そのものずばり精神の安定ですね。



長いことやっておりますと、「先生」と呼ばれることがしばしばあります。私にとってこの「先生」という言葉は、恐怖に近いものがあります。
私の潜在意識に植え付けられた「先生」は、偉そうで傲慢で多くを支配するというイメージがあります。これは個人の見解なので、ご容赦願います。

前出の記事の、【ソウルメイトとの出会い】でお会いした方 ⇩ との会話の中で出てきたのですが、県展レベルから国レベルの公募展の黒い部分に話が及び、芸術での「先生」という存在に拒否反応が生じます。

これ以上は書きませんが、芸術は個人においては自由ですし、その効用というものが心を突き動かすことが全てだと感じています。


ただただ、今ここ。 これで充分です。


それでは今回はこのへんで。

ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?