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歴史について 歴史とは

HistorieとGeschichteの違い

ドイツ語には歴史を表す言葉はHistorieとGescichteの二種類あります。私もドイツ語学んでいてそれは不思議だと思っていました。この違いについて解説しようと思います。もともとドイツではHistorieの方が多く使われていました。Historieは「物語」と語源的に共通します。事実を単純に並べたものというイメージです。一方、18世紀後半から多用されるようになったGeschichteはgeschehen という起こるを表す動詞に由来しています。最後のeは複数形を表すeで複数の物語を意味しています。しかし、18世紀、単数形の総称としてのGeschichteという概念ができます。啓蒙期の合理主義的な高揚の中で、さまざまな古い物語ではなく一つの人類的な進歩の歴史として、概念化されることになります。

歴史から学び歴史をつくる

私は歴史はたんに過去の出来事を集めて記述することではないと思います。現在の生を賦活する物語でなければいけないのです。歴史は丸暗記の教科だと思っていませんか。現在の生に対する利益と害悪を分析することが大切です。歴史の種類の一つに尚古的歴史があります。自らを形成してきた伝統を学び、保存し、その敬虔な雰囲気の中で呼吸することです。過去を持たない人間は根無し草のように軽薄です。しかし、この意味での歴史も過剰になると、過去のガラクタをただただ集めて教養を競うという倒錯に陥ります。もう一つ批判的歴史という種類の歴史もあります。過去を批判して断罪、破壊したうえで、そこから反転して未来へと自己形成するための歴史です。しかし、人は自らの歴史を破壊をし尽くして、非歴史的に再出発することはできません。

歴史はウロボロスのようなもの

ウロボロス

歴史と人間はまさにウロボロスのように相克的に循環しています。人間は歴史的な形成物です。しかし、歴史そのものがやはり人間による形成物なのです。

歴史は勝者がつくる

これはイギリスのかの有名なウィンストン.チャーチルの言葉です。(やっぱり敵からも学べるもの)もちろん勝者のつくった歴史が正しいこともありますが、鵜呑みにするのはよくありません。少なからず、勝者は歴史を修正するものだと思った方がよいでしょう。もし、歴史をただの暗記科目だと思っていたら、歴史を疑うことはできないでしょう。改めて歴史の本質を見出し、勝者の奴隷なんかになって自らの生が潰されていないか考えてみませんか。(ここらへんの内容は我が闘争の下巻に書いてありましす。)




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