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ドイツでうんざりすること

参加している海外在住者のメールマガジン「Vacilando」の11月!! のテーマはそれぞれの国や地域で「うんざり」することでした。
それを今更ですが、書きます。

こんなに長く住んでいると、うんざりの麻痺に陥ってしまい、 もはやもう何も思わなくなっているような気もしますが。


まず第一に、うんざりすることはこれでしょう。

ドイツ語です。

ドイツ語以上にうんざりすることなんてあるでしょうか。あ、ありますね、

ドイツ人です。

以上で終わります。
としたいところですが、重い筆を握り締めて少し書いていきます。


まずドイツ語を勉強すればするほど、こんな思いが募っていくのです。

どうして私は英語圏の国に行かなかったんだろう。

現地で求められるのはドイツ語、でも外国人として認識されるので英語をしゃべる人だと思われる。
ドイツ語はいつまでも中途半端、反面、中学英語すらどんどん忘れる。
ついでに日本語の単語がスッと出てこなかったり、漢字が書けなくなったりという、負のスパイラルに陥っています。

私の脳みそがもっと 言語に特化していれば、そんなこともないかもしれませんが。。

まぁ、正確に言うと、うんざりしているのはドイツ語ではなく、ドイツ語が永久にいつまでもパーフェクトではない自分でしょうか。

ドイツ人には実はもううんざりはしなくなったんですが、そういうものとして受け入れています。こっちも日本人として、そういうものとして受け入れてもらっているんでしょう。

簡単に書くと、全部言わないといけない、言わないとわかってもらえない。


ドイツ人なんて、大雑把に書きましたが、今の同僚の1人は、日本人の血が入っているんじゃないかと思う位、ものすごく気を使う人です。

でもやっぱり全部説明し、言語化してくれます。

そうすることがとても重要な文化圏なんだなと思います。
いろいろな人間が住んでいるからこそ、誤解を生まないように、事細かにしっかり全部言うというスタンスが共通しているかなと思います。

みんなそれぞれ自分の意見を言う。

当たり前のようで当たり前でない。これは教育の賜物かなと思います。私の印象ではありますが、学校教育の評価でも、自分から率先して発言するかという部分は大事なようです。

ドイツでは「みんな違ってみんないい」の先を行っていると思います。


おかしなことに、それに私はいつまでも慣れず、心のどこかで、早く話が終わらないかなと思ってしまう自分がいるわけで、これもやっぱりまぁ私の問題なのですが、 たまにうんざりします。

電車が遅れることもしょっちゅうなので、よほどの遅延でない限りうんざりしなくなりました。レストランでウェイターの人がいつまでも来ないのも、普通なのでうんざりしません。(そもそもあまり行きませんが)

そんなこんなで海外生活が長いと、あまり新鮮にうんざりできないということが、分かりました。

異文化の沼にハマってますね。

やれやれ。


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