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昭和のちゃぶ台

子どもの頃の食事は、いつもちゃぶ台で食べた。
今から考えるとあの小さな丸いちゃぶ台で、7人食事したのが不思議だ。
姉は仕事から帰ると、いつも膳出して〜と私達妹に指示する。私はこれをいつも善哉と勘違いするのだ。
なぜ、お膳と言わないのだろう。他にはおをつけるのに、お膳だけはつけないのだ。それに、ちゃぶ台出してーといえば良いではないか。

そのお陰で私は、今日は善哉!と思ってしまうのだ。
その喜びは一瞬に消え去る。私は善哉が大好きだった。
ちゃぶ台で善哉を食べるのがとても楽しみだったから。
そして、買ってきた大きな鯖一匹を、7人分さばくのだ。
鯖は安くて美味しかった。食卓はほとんどが青魚。海の近くに住んでいたから、魚は安いのだ。副菜はほうれん草、その当時のほうれん草は甘かった。農薬はかかってない。

今から考えると、子どもの頃に青魚ばかり食べてたから、血流の病気にはならないのかもしれない。家族全員そうだ。そう思うと貧しさも悪いことばかりではない。

丸いちゃぶ台は家族の愛情のしるしだ。ちゃぶ台を囲んでワイワイガヤガヤ。家族の愛に包まれているようだった。

今は便利な世の中になったけど、家族全員で食卓を囲む家が少なくなったようだ。
子どもが孤独を感じるのは無理ないだろう。
物質は有り余るほどあるけど、精神的には満たされない子どもが多い。
何人かの子どもを26年間みてきたが、様変わりしてきた。
まず送り迎えだが、父親がかなり増えてきた。5年位前までは申込みも、送り迎えも母親がほとんどだった。最近は電話も父親からかかってくる事が多い。
そして、子供は親のいいなりになる子が多い。行儀がよすぎるのだ。男の子が多くなっているが、腕白な子はほとんどいない。

夫婦共働きは女性の社会進出にはいいことだが、果たして日本人にはいいことだかどうかわからない。
昭和はアメリカに続け、続けだった。学生の頃はアメリカのウーマン・リブが流行り、女性も強くなければと焚き付けられた。けれど元々文化が違う。

日本の女性は男性と平等にと主張したために、自分の首をしめているような気がしてならない。というのは外に出て働いた上に、家事もやはり女性の方が多い。だからせめて、習い事の件はお父さんに頼むのだろう。

私は子どもが寂しくならないように、女性が家にいながら社会進出が出来る可能性を考えるべきじゃないかと思っている。なんで女性?と今のお母さんに反発をかわれそうだが、男性には叶わない女性の体の柔らかさは、子どもの精神育成には必要なのだ。学校で嫌な事があっても、胎内で聞いたお母さんの心臓の音と、柔らかい肌で抱きしめられて、心が安定するのだ。
日本は日本の遣り方があると思う。元々お母さんがいない人に関してはごめんなさい。

教育もそうだ。画一的な教育ではなく、日本は寺子屋式できたのだ。一人一人を大切にする教育だ。
古き良きものを取り入れ、新しいものを織り混ぜていくのが大切なことだと考える今日この頃である。

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