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残せるものは?

私の座右の銘に、人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)という言葉がある
※中国前漢の淮南子(えなんじ)
より。
あるところに塞翁という人がいて、その人の飼い馬が逃げた時、普通はしまったと思うが、彼は何か良いことがあるかも知れないと思い、嘆かなかった。
そうすると、その馬はもう一頭連れて戻ってきて、馬は二頭になった。その時塞翁は、有頂天にならないで、今度は悪い事が起こるかも知れないと思っていたら、息子が落馬して、怪我をした。そこでまた悲観しないで、良いことが起こると考えていると、戦争が起こり、息子は怪我のために、出兵を免れたという。
このように、人間の運命は予測が出来ず、福が災いとなり、災いが福となるということがある。その都度あわてないで、一喜一憂しない、動じないことが大切である、という教え。

この言葉を私はずっとトイレに書いて貼っていた。自ずから子どもはいつも目にする。
何も説明しなかった。そして子どもが聞いてきた時には、説明した。子どものこれからの人生にこの言葉は、最高の教育だと思った。嫌なことがあった時にこの言葉を思い出してほしいという私の願いだった。

また、手塚治虫の火の鳥や、ブッダも本棚に並べた。火の鳥の未来編は予言書みたいだ。心を持ったロボットが人を好きになる、切ない物語もある。こんな色気のあるのも手塚ワールドだ。
ブッダは仏教書読まなくても、十分に理解出来る。
本棚に並べるだけで、読めとも言わなかった。
だから、子どもたちは読んでないだろうなあと思っていたら、ある日、結婚してから数年たって、娘がブッダがずっと心に残ってると言ったので、驚いた。
ああ、読んでくれてたんだ、と嬉しくなった。

自分は子どもたちに、何も残すものはない。特に強要したり、何かを勧めたりするのが苦手な私は、実感としてない。自分の生き様を見せるだけなので、このまま人知れず死んでいくんだなあと思っていた。

また、横山光輝の三国志も愛読書だった。60巻あったが、何度も読んだ。戦場の描写だけでなく、人生の哀歓や、時代に翻弄される武者たちの生き様が、人間らしくて、感情が揺さぶられる。そして、
諸葛孔明の才能と人を導く様は、感慨深いものがある。
全てが歴史に忠実かと言えばそうでもない。横山光輝の人生観も入っていると思う。でも史実なんて、どうでもいいのだ。ホントの歴史って、わかるはずないんだから。私は歴史が好きだが、史実よりも人間模様が好きなのだ。他の三国志も読んだが、横山光輝が一級品だ。

病気をした時に皆捨ててしまったが、心の中にずっと生きている。
手塚治虫だけはどうしても捨てられなかったが、今は孫が少しずつ抜いていって、歯抜けの状態だ。ブラックジャックなどは惨憺たる有用だ。
つまり、ボロボロ。
ブラックジャックを読んで、お医者様になろうと思った人が、わんさかいるという。
テレビで紹介してた天才外科医が、ブラックジャックを読んで、医者になろうと思ったと言っていた。

私は漫画世代で育った。
貸本屋というのがあって、子どものお小遣いでも借りられるのが漫画だった。
今、世界で日本の漫画が愛されているが、難しい本より、子どもでもすっと入れるのが、漫画の良さだ。これも昔からの日本の大切な文化となっている。大学で難しい本も読んだが、何も覚えていない。わざと難しい言葉ばかり並べて、私はいかにも賢いんだと言わんばかりの教授の本があった。何の魅力もない。
人は賢さなんて求めていないんだ。

私の残せるものは、漫画から得た哲学と、人を大切にする心だけである。形のあるものは何もない。つまり生きた証がないのだ。何か残せるものはないかな。


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