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支援メモ📝【 創作支援ってなに? 】

 「支援」ならわかりやすいです。

利用者が過ごしやすいよう生活に手を差し伸べること。施設や事業所でも 迷うことなくサービスが提供できます。

 だけど「創作支援」ってなると途端わかりにくくなる。

生活では自立を促すよう介助のやり過ぎを制するのが基本ですが、創作でも手の出し過ぎは良くないとされる。これもQOL(生活の質)を高める生活介護の一環なので自分でやれることはなるべく本人にやっていただく。しかしこれも支援なのだから放置するだけじゃ職務放棄だ。考え方は他の支援と同じ。生活支援で放置はまずしないはずです。

 ところがその按配がわかりづらい。ルールも不明瞭です。

そこもうちょっと色足せば良くなるのにとかなんとか言いたいことがあっても何も引かず足さずそのまま見守る。たしかにそれも支援のあり方としては〝あり〟かもしれない。けれどわたしから見ると それは「創作保護」というふうに映る。はたしてそれが ほんとうの支援のあり方なのかな と沸々疑問がわいてくるのです。

 否定はしません。いろんな考え方があっていいと思うのです。

まず本人に寄り添いながら、自分なりの意見を述べてみます。それで本人さんが「ちがう」とか意思表示できて納得されないのに、修正を加えたら完全ルール違反でしょう。それはわかります。

けれども重度の障がいをお持ちで何も返せない場合、それでも自分なりの意見が持ち上がったとしたら どうするのが正解なのか。どうもしないのが正解なのか。

 創作支援の曖昧さ難しさはそこにあります。

わたしは、ですが、これはわたしの個人的見解なので意見の相違があるかもしれませんけど、本人の意思を見極めながら手を加えるべきと思うのです。それが「創作支援」ではないかと。

純度で言えば100%障がい者本人の作品ではなくなるかもしれない。もう施設事業所内ではそうなってきているので今更感があるのですが、たとえ70%でも本人の手が加わっているのであれば それも障がい者アートに含まれるのではないか。生活介護で「自助具を使う」という方法がありますが、創作では介助者も本人の代わりとなる自助具です。アートやるにしても支援者は自助具であるべきでしょう。

もしそれが認められない、純度100%の作品と並べるべきじゃないと言われるのでしたら しっかりルールを決めて区分けすればいいと思います。

このやり方で上手く利用者も満足のいくハイブリットな作品として成立しているのですから、それをすべて前例にないからと否定するばかりでは新しい価値観は何も生まれません。

結果的に良質な作品に仕上がっていくわけだから、それもコラボとして認めるべきだし 価値もあるんじゃないでしょうか。

障がい者一人で描いたか全部は描いてないかだなんて そんなに目くじら立てて気にする必要ないと思う。支援する側もコソコソ影に隠れずユニットとして大々的に名を連ねればいいんです。

それを認めない風潮がこのまま続くのであれば、創作支援者は馬鹿らしくなってどんどんいなくなるでしょう。創作保護なんて創作スキルを学ばなくても誰でもできることなのだから。


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