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病気への向き合い方を教えてくれた:映画『桜色の風が咲く』を見て

映画『桜色の風が咲く』を見ました。この映画は、9歳で失明し、18歳で聴力も失いながら大学教授になった東京大学先端科学技術研究センターの福島智さんとその家族の体験を基にしたものです。

正月休みに智さんの目がおかしいと両親が気づくところから映画は始まります。そして正月明けに受けた診察で「牛眼(先天性緑内障)」と診断されます。その時点で私は胸がざわつくのを感じました。映画を最後まで見られないのではないかと思いました。それは私自身の体験とだぶって見えたからです。私もかつて同じような経験をしており、そのあと映画の流れが深刻なものになると想像したからです。

私の息子も2歳になったばかりの時に片目が先天性緑内障と診断され、緊急手術を受けました。それより半年前に息子の目が異様に異常を感じた私は近所の眼科を受診していました。片目だけなぜか異様に潤んでいたのです。でも、その時は「さかまつげ」と診断され特に問題はないと言われました。それから半年後、やはり気になって別の眼科を訪れた私に医師は「先天性緑内障」だと告げました。たまたま緑内障を専門とする医師だったのです。

映画と同じように医師が最初は「牛眼」と言ったのを覚えています。母親役の小雪さんと同じように私も「牛眼」という言葉を知りませんでした。でも「先天性緑内障」のことだと言われ、すぐに手術が必要だと言わたときには平静ではいられませんでした。「緑内障イコール失明」という認識が私の中にあったからです。

息子は大学病院に入院して手術を受けました。幸い手術成功しました。手術で進行は抑えられましたが、症状はかなり進んでおり、すでに視力も視野もかなり失われていました。さらにいつまた発症するかわかりません。もう一方の目に異常は見られませんでしたが、そちらも発症しないという保証はありません。その後定期的に検査を受けましたが、結果が出るまでは常に不安でした。

息子は現在30代後半です。小学校3年生のときに再発が見つかり二度目の手術を受けましたが、それ以降は病状は安定しています。社会人として普通に仕事もしています。福島さんより年齢はずっと若いので、病気が見つかった時の眼科医療も福島さんの頃よりは進歩していたと思います。病気の重さも福島さんに比べればはるかに軽いですし、病気で失ったものも少ないです。家族の苦労も福島さんのご家族に比べたら雲泥の差です。比べること自体おこがましいと思うのですが、それでも映画を見ていた私にはかつての自分たち家族と重なる場面がたくさんあり、胸が苦しくなりました。

たとえば、黒目の大きいこと(だから「牛眼と言われるそうです)が実は病気によるものであったこと、それを知らず「目がぱっちりしてかわいい」なんて言っていた自分の愚かさを責めたこと、最初に行った眼科の診断が間違っていたこと、大学病院の医師の尊大な態度に心が傷ついたことなど私も経験しました。いちごを置く位置で息子の目の見え方を確認したり、同室の少年が脳腫瘍で亡くなったことなども重なりました。さらに兄弟に手をかけられず我慢を強いてしまったことも私の長女とだぶりました。


福島さんは昭和58年に東京都立大学(現・首都大学東京)に入学し、金沢大学助教授などを経て平成20年から東京大学の教授としてバリアフリー研究を中心に活躍されています。盲ろう者として常勤の大学教員になったのは世界で初めてだそうで、その努力は私の想像を超えるものだったと思います。同時に福島さんを支えたご家族の苦労も並々ならぬものだったと想像します。かつての自分を思い出しながら映画を見て人は病気とどう向き合ったらよいかを改めて考えました。

東京大学福島研究室のウェブページ↓


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