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ある高齢女性からの悩ましいお誘い

「ねえ、お食事しない?」

そう言ってたびたび食事に誘ってくる女性がいます。もうすぐ90歳になる高齢女性です。私とは母娘ほど年が離れていますが心身ともに元気です。

彼女とは定期的な集まりでいっしょになり、何度かあいさつするうちに話しかけてくるようになりました。70代のときに夫を亡くし、それ以降は夫が残した大きな家で一人暮らしをしていること、専業主婦として大企業に勤める夫の世話を一生懸命してきたこと、その一方で遊び仲間と毎年のように海外旅行やスキー、テニス、ゴルフなどを楽しんだことなど私が聞かなくてもいろいろと話してきます。息子が3人いるそうですがそれぞれ家庭を持ち、彼女を訪ねてくることはほとんどないと言います。孫ともめったに会えないと残念そうに言います。

私は彼女の話にあまり興味が湧きません。彼女とはライフスタイルが異なりますし、価値基準も違います。共働きの私は仕事も家事も育児もすべて夫と分担してきましたが、専業主婦だった彼女は家事も育児も一手に担い、夫の世話に生きがいを感じてきた人です。それが幸せだと考える彼女と話がかみ合わないのは当然です。

それゆえ食事に誘われてもなんだかんだと言って断り続けてきました。けれどあまり断り続けるのもどうかと思い、ある日いっしょに食事に行きました。予想通り彼女は食事の間じゅう自分のことを話し続けました。もっぱら聞き役の私には疲れだけが残りましたが、彼女はすっかり満足したようで食事が終わるとこう言いました。「今日はとても楽しかったわ。またいっしょにお食事しましょうね」

私の心は複雑でした。「イエス」と言えばまた誘われるでしょうし、かといって「ノー」と言うのも躊躇われます。優柔不断と思いながらも無下に断れない私がいます。彼女は亡くなった私の母に近い年齢ですから気持ちが想像できないでもありません。彼女は私のほかにもいろいろな人を食事に誘っています。食事相手が欲しいのでしょう。寂しいのかもしれません。経済的には何不自由ない暮らしをしているように見える彼女ですが、満たされないものがあるのでしょうか。不安もあるのかもしれません。

それに私も彼女くらいの年齢になったら同じような心境になるかもしれません。時間が許せば自分の母親だと思って食事に付き合ってあげるくらいのやさしさがあってもよいのではないかと思うこともあります。「おひとりさま」になったらおそらく人に頼って生きることになるでしょうし。私の中のジレンマです。

私のそんな気持ちを知ってか知らずかわかりませんが、食事のあと別れ際に彼女は言いました。「今度はいっしょに海外旅行しない?」と。とっさに私の口から出たのは「海外旅行なんて無理、無理!」という言葉でした。食事ならまだ妥協できますが、いっしょに旅行などしたら大変です。私があれこれお世話することになるでしょうし、年齢を考えたら彼女に何かあっても不思議ではありません。そんなリスクを冒す気もちはさすがにありません。

でも彼女は言いました。「あら、そ~お? 残念ねぇ。でも行きたくなったらいつでも言ってね。喜んでご一緒するから」

高齢女性がすべて彼女と同じだとは言いません。でも、関係を切りにくい人との付き合い方について、高齢者問題にくわしい社会学者の上野千鶴子さんならどんなアドバイスをくれるでしょうか。





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