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羊文学「OOPARTS」感想


羊文学の新曲「OOPARTS」は羊文学のディスコグラフィー随一の名曲であり、これを収録した「OOPARTS」EPも同様に疑いのない名作である。一聴した上でも都営新宿線の中で8周ほどしても同じ感想を持った。名曲であり名作だというのは「これまでの羊文学の流れを継ぎながら」、「羊文学の新しい要素を存分に見せ」、「ポップミュージックとしての力量を備えている」ということだ。

羊文学の歩みはメジャーデビュー/デビュー前で区切ることができない。嘘みたいにデビュー/デビュー前で音楽性の変化が見られない。シングルコイルから波状に広がるマイブラの流れを継ぐアンビエントのような響きを持つファズ/ディストーションギター、楽曲の根幹をうねるように作り出すベース、タム/スネアを中心に鳴らされる重心の低いドラム。勿論曲毎に音数や音色の違いはあれどこの根幹に揺らぎは無い。そして塩塚モエカの声。俗世の濁りと突き抜けた清涼感を併せ持ち、どこまでも広がるもいずれ一点に収束していくような声。シューゲイザーやドリームポップという狭小なジャンルの王道でありながらも万人の耳に寄り添いうるポテンシャルを持つ声。これらの要素をバンドで一斉に音が鳴らされた際に生まれるバンドマジックにおいて何倍にも膨らませる。理想的なアンサンブルであろう。このアンサンブルは「若者たち」から一貫して羊文学を羊文学たらしめるものとして機能している。もちろんこのEPにおいても、である。

そして羊文学の新しい要素、というか表題曲という勝負曲において用いられた新たな要素が、楽曲全体を率いる電子音である。言ってしまえば彼の伝説的バンド・SUPERCARが邦楽音楽そしてロックミュージックの延長線上において成し得た表現だ。「OOPARTS」の再生ボタンを押した瞬間に広がるのは先ほど記した羊文学を成す構成要素ではなく、アンビエント的シークエンスと輪郭のはっきりしないサステインの短いシンセの音。空間系エフェクトが強くかかった細かい目で歪んだギターの音と塩塚モエカの声が入ったあと徐々にシンセの音の輪郭がはっきりする。その後も楽曲を率いるように音数は過剰にならずに、しかし存在感を持って鳴り続けている。言ってしまえばSUPERCARの4枚目「HIGHVISION」で辿り着いたシューゲイザーの浮遊感とエレクトロニカの陶酔感の間にある《あの》雰囲気を改めて提示した。しかし転調と共に語られる「あの星へ逃げる」という言葉がもたらす解放感は(一種の諦念がその魅力を司っていた)SUPERCARには無い未来への確かな足取りを示す。

最後に「ポップミュージックの力量」について。羊文学は安易な絶望を歌わない。見渡すと広がる荒涼としたしょうもなさを歌わない。

「何回だって言うよ、世界は美しいよ」「君のまま光ってゆけよ」(光るとき)

「ラッキーデイ、今日は理屈じゃないところでしあわせが訪れる そんなひになる」「ってきめたからなる」(ラッキー)

「行け行け その先が闇に思えようと」「行け行け」「今そこにあなたを信じる場所が」「ある」(マヨイガ)。

タイアップ先の世界観に合わせながらも常に歩む地点の先にある光るものを歌う。その理想論的世界観はメジャーデビューの反動ではなく一貫して羊文学が積み上げてきたものだ。時代を照らす灯台や縋る先の蝋燭になり得るボーンナチュラルポップミュージック。その力量を狭い肩に自然と背負えているし、リスナーは希望を託したくなる。

どこまでも削られシャープに研ぎ澄まされたアンサンブルは2020年代において存在し得ていることが奇跡であり、そこからマーケットに呑まれず理想的な進化を遂げているのも同様であり、こんな色んなことをやり尽くされた時代における羊文学という存在の稀さはタイトル通り「オーパーツ」と言える。アルバムが楽しみでしょうがない。


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