茂山起龍

会社経営者。学習塾、水道などなど色々やっています。中2と小6の子を持つ父親。

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希望をつなぐために

「どこにも受からないのではないか」「どこまで志望校を下げたらいいのだろうか」という想いはちょうど今ピークになるような感覚がある。 5年生の終わりから6年生の今時期まで模試の感覚が広くなって立ち位置がわからなくなる。そこで突きつけられる模試の結果。やっていないわけでもないのだが、大人が「普通はもっと課題に対して自分の意思でコツコツやるものだろ」ってレベルには及ばない子供の様子。ここらへんにフラストレーションが溜まり、親子間、夫婦間もギスギスしてどうにもならない状態になる。 前述

    • 僕が慶應義塾普通部を受けた時

      慶應義塾普通部を受けた理由、それはただ一つ。「親が急に言い出したから」早稲田中が第一志望だったはずの僕だが、自分の行きたい学校ってのがいまいちなかったのもあり11月ごろいきなり変更されたことにも大して驚きもせず「そうなんだー」くらいでしかなかった。 僕が受けた時はまだ今の慶應義塾中等部みたいに1日の1次を合格した子だけ3日に行われる2次に進む形式だった。そして中等部は5日が1次だったのだ。長期戦にも程がある…… 試験当日、見に行ったこともなかった僕と大学の日吉キャンパスで

      • 親子メシ

        𝕏‬で僕を知っていてくれている方は僕がいかにラーメン好きかをわかってくれているかと思うが、会社を経営しながら馴染みのラーメン屋を手伝ってしまうほどのラーメン好きである。一人で昼飯を食べるとなればラーメン屋だし、一人で飲むとなるとやはりラーメン屋である。中学や高校の時も友達と色々なラーメン屋を訪れたし、学生の時はよく二郎を食べた。 そんな風にふと記憶を遡らせてみたときに強く記憶に残っているラーメンがある。小6の時、母校である普通部を受けた後に食べた、日吉駅に程近い「龍華」のチャ

        • 行かない学校を受けるということ

          埼玉受験が一般的になったのは一体いつからだろう。僕は1999年に中学受験をしたわけだけど、おそらく埼玉の学校を受験した子は通っていた塾にはいなかったと思う。生まれも育ちも千葉にほど近い江戸川区西葛西なので、千葉の受験は一般的だった。ここに関しては「都内が受からなかったら行く学校」と捉えていたし、中には千葉の学校を第一志望にしていた子もいたので今の埼玉入試や地方の出張入試のように「受かっても行かないけれども受ける」というのとは違う。 僕は4人兄弟の長男で、一番下の妹とは8つ離れ

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