符合する社会情勢と1984


先日このような発言があった。

たまたま読んでいた1984に面白い内容があったので抜粋を交えながら記事を書く

『上層の目標は自分たちの位置を維持することであり、中間層の目標は上層の地位を得ることである。また下層の目標は、もし彼らに目標があるとすれば……というのも下層の普遍的な性質として彼らは単調な重労働によって疲弊し、日常生活の外にある物事について考えを巡らせることが難しいからだが……全ての区別を廃止して全ての人間が平等である社会を作ることである。』

『上層は長期間にわたって安穏と権力の座にあるように思われるが、遅かれ早かれ彼らが自身の信念や効率的に統治する能力、あるいはその両方を失う時が必ず来る。その時になると彼らは自由と正義のために戦っているふりをして下層の支持を得た中間層に打ち倒されるのだ。』

>下層の普遍的な性質として彼らは単調な重労働によって疲弊し、日常生活の外にある物事について考えを巡らせることが難しいから

精神疾患の患者が下層なのかは不明瞭だが精神疾患に関するこんなデータが存在する。
はっきり言ってこの増加は異常事態だろう。
もちろん社会的に精神疾患の認知が向上して発見が容易になった側面は多分にあると考えられる。
だがそれは反面過去にこれだけの数の精神疾患の人間がいたのに適切な治療機械に恵まれなかったことを意味し、そのことによる経済的社会的損失は大きかったのではないだろうか?
>精神疾患を有する総患者数は約419.3万人【入院:約30.2万人、外来:約389.1万人】 ※ うち精神病床における入院患者数は約27.8万人 ○ 入院患者数は過去15年間で減少傾向(約34.5万人→30.2万人【Δ約4万3千人】) 一方、外来患者数は増加傾向(約223.9万人→389.1万人【約165万2千人】)

https://www.mhlw.go.jp/content/12200000/000940708.pdf

また実質賃金の問題もある。

世界がどんどん成長を遂げている中で日本人の賃金はまるで動いていない。
政治に対する発言というのは厭われやすい。
けれど個々の国民が政治を放棄してはならない。
苛政は虎よりも猛なりという言葉もあるように悪政ではとてもじゃないが人は生きれない。
正しい政治など存在しないだろうがそれでも社会をどうしていくのか、そしてそのためにどのモデルケースを学ぶ必要があるのかについて政治は考え続ける必要があるだろう。
そして有権者である国民もまた政治や未来に絶望するのでなく誰の言葉を信じるのか?誰の政策が妥当性があるのかをデータを読み冷静に吟味し続ける必要があるだろう。
それは泰平の世であっても戦乱であっても社会的に責任のある大人がやらなければならないことなのだろう。
もちろんこの文体も精神的な余力があり、気力があるから書くことができる内容である。
だからこそ今書かないといけない。
誰もが下を向いて従順になることで生き延びようとするのでなく、自分たちの意思で社会を支えているのだという自覚の下に生きれるように。

『過去においては社会の階層構造を必要とするのは上層に固有の学説だった。それは王侯貴族、僧侶、法律家や彼らに寄生している者によって主張され、想像上の死後の世界での報酬を約束することによって穏便化を図るのが一般的だった。』

『党員は個人的な感情を持たず、常に熱狂的であることが求められる。狂ったように敵国と内部の裏切り者を憎悪し、勝利に歓喜し、党の権力と英知の前にひれ伏しながら生活するべきだと考えられているのだ。荒涼とした不快な生活によって生まれる不満は二分間憎悪などの装置によって意図的に放出、解消させられるし、疑いと反抗の態度を生み出す可能性のある考えは幼少期の精神的な訓練によって前もって抹消されている。』

疑問を抱くことは変化の激しい時代においてある種の足かせとなるのかもしれない。
それでも思考し、熟慮することは政治が暴走するのを防ぐのに役立つだろう。

『個人の所有と贅沢という意味でのは公平に分配され、その一方で権力は少数の特権階級の手の中にあるという社会を想像することは確かに可能であろう。しかし実際のところそのような社会は長期的には安定であり得ない。もし余暇と安全が等しく享受されるようになり、通常であれば貧困によって茫然自失している大多数の人間が教養を身につけ、自分のことについて思考する方法を学ぶようになったとしよう。いったんそうなれば彼らは遅かれ早かれ特権をもった少数派が何の機能も果たしていないことに気づき、それを一掃するだろう。長期的に見ると階級社会は貧困と無知を基礎にしてしか存在し得ないのだ。』

私はしがない技術者として効率化と技術の普及こそが社会を発展させ、世界がより良いものになると信じている。
だから2+2=5という詭弁がまかり通ってはならないと考えるし、またそうであってほしくない。
生きることはままならず苦しいことが多い。
そのことをボカす必要はなく、そのことで絶望する必要もない。
ただ荒野をさまようがごとく1歩1歩と歩き続ける。
間違えて嘲笑われ、白い目で見られることも多く、繕いやその場しのぎもしてしまうのが人のサガであったとしても大道に外れず生きていたいものです。

まだ1984が禁書となっていない現時点の社会に感謝するのと同時に未来においても禁書とならない社会であり続けることを願って。

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