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人生の師匠は、99歳の祖母。

もうすぐ99歳になる祖母


大正、昭和、平成、令和を生きてる
すごいなぁ〜


(写真は92歳頃の祖母、早朝から庭の剪定、枝の上に立つ😆)


私は初孫で
とっても可愛がってもらった。

私も祖父母が大好きで
3歳くらいの時から一人で列車に乗って
泊まりに行っていたらしい。笑

母親が自宅の最寄りの駅から
私を列車に乗せると、

私は物怖じせず、ニコニコ笑顔で出発。

4駅ほど先の駅で降りると、
祖父母がホームで待っていた。

ひとりで
じぃじとばぁばのおウチにお泊まりして、
楽しく過ごしていたらしい。笑



私が10歳の時に両親が離婚して、母が家を出て行ったのだが、その時も、私と弟は、祖父母宅に泊まりに行っていた。(この時は行かされていたようだ)

帰ってきたら、父から「お母さんは出て行ったから」とぶっきらぼうに言われた。


それから祖母は、人生の節目節目で
私に大切なことを教えてくれた。


初経の時も、男親ひとりだからと
気にかけてくれてたのをよく覚えている。


礼儀に厳しい祖母だった。


近所の子どもが悪さをしたら、
本気で叱るような祖母。


凛々しくて立派に、
本家の長男の嫁の務めを果たしていた。

そんな祖母は
いつも私のことを案じてくれた。



父が癌で闘病中も、
私の心の支えは祖母の存在だった。

大切なことを決断しないといけない時は、
いつも祖母が寄り添ってくれた。

感情を取り乱すことはなく、 
いつも冷静で的確な判断。


はっきり物を言い、
近所の人からも慕われていた。



祖母は女学校を卒業後、
小学校の教員になった。

結婚するまで教師として働いていた。
ちなみに数学の先生。

この時代に女性がバリバリ働くのは、
珍しかっただろうと思う。


新聞に載ってるセンター試験の問題を
かなりの歳まで解き続けた。


今も新聞を読んでいる。読書もする。

時代に遅れず、
若手芸能人の名前も、ニュースも、把握していた。(私より詳しいのではというくらい)



そんな祖母は、93歳頃だろうか。


祖父が亡くなって数年経ち、
同居していたオジ(長男)と折り合いが悪かったのもあるが、自ら家を出て、住宅型有料老人ホームに入居したのだ。


年相応の物忘れはあったが、認知機能は特別衰えてなかった。介護が必要であったわけでもない。


きっと一生家で過ごしたかったはずだ。


しかし、自らの人生の引き際を知っているような、そんな覚悟が感じられた。


「お世話になりました」と言って家をあとにした姿が忘れられない。


立派な祖母だなとしみじみ思う。


私はそんな祖母に育てられて、いろんな価値観を教えてもらった。


ソーシャルワーカーとして働いている私の原点、視点は、祖母から学んだのではないかと思う。


ある時、なかなか結婚しない私に
祖母は言った。😂


「お婆ちゃんはね、生まれ変わったら、結婚はしない。バリバリ働いてキャリアウーマンになる。そんな人生もいいぢゃない。」と。



「お婆ちゃんはね、デブとハゲは嫌ね〜。」
らしい。🤢笑(これには爆笑ww)




「結婚が全てではない」と言ってくれたけど、
“本当は、結婚してほしいんだろうな。一人で生きていくのは大変だから。”という気持ちは、常々感じていた。


それでもいつも真剣に私の話や夢を聞いてくれて、本気度を見定めた上で、必ず味方してくれた。 


失敗したり方向転換することが
幾度もあったけれど、そっと見守ってくれていたことには感謝しかない。


今は、介護が必要な状況だが、口だけは達者。
よく泣くようになった。😂


私の父の最期を看取った祖母。
祖父も祖母が会いにくるのを待って亡くなった。


祖母は私の人生の師匠だ。
いつも大切なことを教えてくれる。



これからも美味しい物を食べて、祖母らしく、生きていてほしいと願う。


99歳、おめでとう☺️🎉





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