RICO 明日は明日の風が吹く

愛の人生。 人の役に立つ仕事をしたくて、精神保健福祉士、認知症ケア専門士、マヤ暦アドバ…

RICO 明日は明日の風が吹く

愛の人生。 人の役に立つ仕事をしたくて、精神保健福祉士、認知症ケア専門士、マヤ暦アドバイザーとして活動中。 これまでの経験がきっと誰かの役に立つと信じて、ありのままの思いを綴っていきます。 https://www.instagram.com/ricoa.kin235

最近の記事

雑誌「anemone」から掲載依頼が来た!!!!

どうも、RICOです☺️ 実は、なんと!! スピリチュアル系の有名雑誌 アネモネさんから掲載依頼が キターーー!!!! 本当に?!?! とおもったけど、本当だったー!😆 「これからの人生がより良くなり自分らしくいられるサポートをしていただけそうなご活動が魅力的」ですって。 私が大切にしているテーマ 『人生をより豊かに』 『自分らしく生きる』 そのものを、Instagramの投稿から 読み取って汲んでくださったのが、、 う、う、嬉しすぎた🥹 さらに今回の企画のテ

    • マヤ暦で『人生は本当に変わるのか?!』

      どうも♥️ マヤ暦アドバイザーRICOです☺️ 突然ですが 私の今の状況をカミングアウト🤣 実は最近 めちゃくちゃしんどかったのです 昨年9月末に仕事を辞めて マヤ暦で、ビジネスとして 成功するぞー! と意気込んでいたものの 前の仕事をやめるきっかけにもなった ビョーキが なかなかよくならない あれ? おかしいぞ? ストレスから解放されたはずなのに なぜ?? 上がったり下がったりの 気分の波に 激しく疲弊して ひどく体調が悪いと 全く起き上がれなくなって 2週

      • 「可能性を信じる」ということ

        精神保健福祉士(ソーシャルワーカー)の仕事の話。 少し長いですが、わたしが大切にしていることを綴りました☺️ 精神科病院に勤務していた時、たくさんの方に関わらせてもらったが、その中でも忘れられない患者さんがいる。 10代で統合失調症を発症し、重度の幻覚妄想状態で入院治療を余儀なくされていた。 私が出会った時は20代半ばだったが、5年以上入院していたと思う。 これまで何人も担当が変わり、あらゆる手を尽くしても八方塞がりで、一生、退院はできないだろうと家族さえも諦めてい

        • 出会いは必然(私とマヤ暦)

          マヤ暦アドバイザーRICOです☺️ 久しぶりの更新🆙 今日は、私とマヤ暦との出会いについて 振り返りながら、綴ってみます。 長いですがお付き合いください😌 ある時、学生時代の友人 20年来の大親友から 「マヤ暦って知ってる?」 と聞かれた。 私:「知らない。何それ?」 「マヤ暦ってね、マヤ文明時代のカレンダーでね、キンっていう数字があってね…」 (確かこんな事を言っていたであろう) 「占いじゃないんだけど占いみたいなもので」(とも言っていたであろう) 私:

        雑誌「anemone」から掲載依頼が来た!!!!

          マヤ暦鑑定メニュー

          マヤ暦RICOAです☺️ メインメニューのご案内です! RICOAがお伝えするマヤ暦の特徴は、 占いというより、カウンセリングの要素を多く含んでいます。 私自身が、精神保健福祉士という国家資格を持っており、これまで精神科病院で、何百人?何千人?という数え切れないほど多くの方の相談に乗ってきました。 17年に渡る相談支援の経験を、存分に活かして、私だけのマヤ暦をお伝えします😌🌿 私が常に心がけていること🌍💕 「相談者のお話を丁寧に聞く」 「気持ちに寄り添う」 「問題点

          私が今の私になるまで

          RICOです☺️ この度、人生で大きな大きな 決断をしました。 17年勤めた職場を退職することにしました!! 決意するまで来る日も来る日も 思い悩み、具合が悪くなるほど。笑 未知の世界への不安、恐れ、期待。 様々な感情が入り混じって、なかなか決めきれず。 しかし、いよいよ決意して、上司に話し、退職稟議がおり、同僚に報告する事ができました。 この間、非常に情緒不安定な私は、気持ちが上がったり、下がったり、傷ついたり、感動したり。 感情労働が忙しい😂w 涙腺も崩壊。

          私が今の私になるまで

          撮影会の裏側

          しつこいけど🤣 先日の撮影会が素晴らしすぎて、まだまだ余韻に浸ってる。 撮影会の動画等をみてもらって キラキラ輝いているように見えるかもしれないけど… 私の人生も もちろん、山あり谷ありです。笑 ここに来るまでの道のりは 決して平坦ではなかったし 苦しくて苦しくて仕方なかった日々が 幾度もあった。 今でもその気持ちに引き戻されて、 落ち込んだり、焦ったり、 不安になったりして たびたび自己嫌悪に陥っている。 (これが現実)笑 だけど!! 私は自分の人生を変えた

          一致撮影会

          先日、とあるリゾートホテルで 一致撮影会が行われた。 一致撮影会とは、文字通り全てを一致させて挑む撮影会のこと。 この日に向けて、2ヶ月かけてマインドを学び、自分の中の不一致を知り、向き合ってきた。 Nonfiction講座 講座以外の時間も 互いに悩みを打ち明けたり 嬉しい報告をしあった。 各々の課題にぶつかり 深く深く落ち込む日もあったが、 互いに励まし合い、時には苦言を呈して笑 それぞれのペースで 着実に変化していった。 講座の仲間は、全国から集まっていて

          奇跡の電話!人徳のなせる業!!

          ソーシャルワーカー(精神保健福祉士) の仕事の話😇 ソーシャルワーカーとは、 ざっくり説明すると! 様々な疾患や障害を抱える中で、その人らしい生活ができるように、支援する仕事である。 働く場所はそれぞれ 支援する内容も多種多様 枠や幅に捉われない 柔軟な対応が求められる。 私は精神科病院に勤務しているが、 日々仕事をする中で、感情労働が半端ない。笑 患者さんの病状 家族とのやりとり 病院内での多職種との葛藤 などなど🥲 どうしようもなく 途方に暮れることがあれば

          奇跡の電話!人徳のなせる業!!

          人生の師匠は、99歳の祖母。

          もうすぐ99歳になる祖母 大正、昭和、平成、令和を生きてる すごいなぁ〜 (写真は92歳頃の祖母、早朝から庭の剪定、枝の上に立つ😆) 私は初孫で とっても可愛がってもらった。 私も祖父母が大好きで 3歳くらいの時から一人で列車に乗って 泊まりに行っていたらしい。笑 母親が自宅の最寄りの駅から 私を列車に乗せると、 私は物怖じせず、ニコニコ笑顔で出発。 4駅ほど先の駅で降りると、 祖父母がホームで待っていた。 ひとりで じぃじとばぁばのおウチにお泊まりして、 楽

          人生の師匠は、99歳の祖母。

          【大好きな父⑥】天国へ逝く(完)

          2012年7月19日 0時58分 父は永眠した。享年61歳。 初めての葬儀、喪主。 悲しむ暇もなく、準備に追われる。 生前父から、自分が死んだら連絡して欲しい人リストを渡されていた。 私の知らない人だ。 その方々に連絡して、父の訃報を知らせた。 そして、私は喪主として大忙し。 4人家族だったのに、なぜ父と2人家族になったかは、いつか記したいと思う。     お通夜、葬儀には予想を遥かに超える多くの参列者が来てくださった。 父と同年代のおじさま方が、声をあげて泣い

          【大好きな父⑥】天国へ逝く(完)

          【大好きな父⑤】最期の言葉は「ありがとう」

          父は放射線治療を終えて、退院の許可がでた。 主治医から、「自宅に帰れるのはこれが最後になるでしょう。なるべく長く過ごせるといいですね。」と言われた。 在宅介護の環境を整えるため、「末期癌」で介護保険の申請をした。要介護認定調査をなるべく早くお願いした。 私は一人で父を看病していたため、介護保険がおりてヘルパーさんが来てくれるまでの間、日中父を自宅で一人にはできなかった。 祖父母に頼んで、自宅から40分程の距離にある祖父母宅で平日の5日間を預かってもらうことにした。

          【大好きな父⑤】最期の言葉は「ありがとう」

          【大好きな父④】食道癌と向き合う

          最後の家族旅行を終えたその日の夜から、父の様子がおかしくなった。 冷凍食品をそのまま食べようとしたり、コップに硬貨を沈めていたり。カーペットをタバコの不始末で焦がしたり。急に怒ったと思ったら、ニコニコして、意味不明なことを言い出したり。 「ミサイルが飛んでくる!」 「危ないぞ。逃げるぞ。」 「アメリカとロシアが…」 これはまずい。 すぐにかかりつけの病院を受診した。  「脳に転移しています。」と医師。 想像はしていたが、ショックだった。 2ヶ月程前、医師から言われ

          【大好きな父④】食道癌と向き合う

          【大好きな父③】父の精一杯の親孝行

          抗がん剤治療をはじめて約1年が経過した。 短期間の入退院を、繰り返しながら、前向きに闘病していた。   自営していたスナックは経営不振もあり、癌を発症する直前に閉店していた。 闘病中、何もすることがないと気が滅入るだろうと、親戚の会社で雇ってもらえることになった。 「短時間、調子がいい時だけでもいい。」と言う有難いご配慮だった。 「部長」という肩書きまでいただき、役割ができた父は、毎日「仕事に行って来る」と明るく出かけたものだ。  美味しいものを食べるのが好きだっ

          【大好きな父③】父の精一杯の親孝行

          【大好きな父②】愉快な入院生活

          父の抗がん剤治療がはじまった。 父はこれまで忙しさにかまけて健康診断をまともに受けてこなかった。仕事で毎日お酒を飲み、夜中に帰って来る生活。仕事前に、近所の内科に毎日通い、点滴をしていた。 あそこの内科を訴える!! 父「毎日病院に通ってたとぞ。見逃すなんてバカだろ。ヤブ医者。」(過激wwしー) 一時期そう言って聞かなかった。 いろんな思いが交差する複雑な気持ちをぶつける所がなかったのだろう。 それからというもの「癌に効く」という健康食品等々を調べて、サルノコシカケに

          【大好きな父②】愉快な入院生活

          【大好きな父①】末期癌になる

          私の父は、私が29歳の時に他界した。 父は繁華街でスナックを経営していた。 自宅では無口でほとんど話さない父だった。 私の家庭は、毎週日曜日の夜、外食するのが習慣になっていた。唯一家族が揃って夕飯を食べることができる日だったからであろう。 しかし、家族団欒の楽しい時間かとおもいきや、会話はない。笑 ちなみに、私と父と母と弟の4人家族である。 賑やかな家族団欒の時間とはかけ離れていたが、そんなものだろうと思っていた。 それから時は流れ、私が28歳の時、父が末期癌と診断

          【大好きな父①】末期癌になる