見出し画像

俵万智「サラダ記念日」と現代口語短歌の可能性について


取り上げるのは、俵万智の第一歌集「サラダ記念日」で1987年5月8日河出書房新社より初出発行。翌年に現代歌人協会賞受賞。作者はこの時二十四歳。

85年「野球ゲーム」で角川短歌賞二席、翌86年「八月の朝」で角川短歌賞を受賞、「サラダ記念日」にその作品が収録されている。マスコミは20代の女性が受賞したことを取り上げ、マイクを持ち、壇上にワンピース姿で初々しい笑顔を見せる作者がフラッシュを浴びる表彰式の様子を大々的に報道した。それは文学の顕彰というよりは新たなジャンルのスター誕生のような扱いであった。本稿では、本作品を通して、短詩系文学の一つである短歌の可能性について、主に「題材」と「表現」の視点から、短歌の時代との結びつきや社会的な影響を論じてみたい。

  この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日

 心の弾みが聞こえそうなこの歌には、若いカップルの会話と日常の幸せをささやかだが愛しいものとして留めおこうとする作者の心が読み取れる。のちに明かされているように、「サラダ」や「七月六日」はイメージを作り上げるための言葉の工夫である。重要なのは、作品として表現の操作が行われ創意を加えながら難解な修辞を使わず、一般読者の手の届く表現としたことだ。「S」の爽やかな響きを与え、恋のイメージを込めて七夕の前日に設定したという演出も、読みに特別な影を差しはしない。自分も似たような場面を経験したことがあると思わせてしまう。それは五七五七七の韻律の所産でもあろうが等身大の生活をベースとして話し言葉を用い、キャッチーな語と素直な文脈で率直な思いを表現しているからである。近代短歌の革新により短歌は個人の生活の実感が直接に結びつくような題材と表現を獲得していったが、一般の人々にとって短歌はまだ高尚なものであっただろうし、それを是とする「常識」も存在した。例えば作品が学校の教科書に載っているが、古典文法や修辞を学ばなければ読解できず、何か遠い世界のことように感じられる。それゆえに、たとえ自分の身の回りにある事象を取り上げても表現において人々の日常から遠ざけられなければならない運命にあった。

くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る  

正岡子規1904「竹の里歌」より

 近代短歌の開祖ともいうべき正岡子規の広く愛唱される歌で、中学校の教科書に掲載されているもの。庭に咲いたばらの若芽が春の雨にぬれているという穏やかな情景を詠んだもので、そう解説すると内容的に難しくはない。「の」の発音が続くことで流れるようなリズムを作っており、虚飾ではなく写実的な情景が詠み込まれ、音の効果も考えられているが、この中に現代に通用する話し言葉はない。もちろんこの歌が作られた時代には新しい言葉の響きを持っていただろう。だがそもそも平安以降、和歌は雅語を用い内容的にも品格を重んじる方向に発展した。明治に起こる近代短歌の革新は和歌の格式に疑問を呈し、与謝野晶子などに代表されるように歌と個人の生活の実感が直接に結びつくような題材と表現を獲得していったが、それでもまだ一般の人々には高尚なものであっただろうし、それでよしとする「常識」も存在しただろう。例えば作品が学校の教科書に取り上げられ鑑賞や創作が学習課題になることはあったが、そこに収録された歌はまず文語であり、使われる語彙や言い回しにも作歌意識がはたらいて、ふだん使う言葉とはかけ離れていた。それらを理解しようとすれば古典文法や修辞を学ばなければ到底読解できず、できても一般の人々にとって身近なものにはなりにくかった。それゆえに、短歌や俳句のような長い時間をかけて洗練されてきた短詩定型のスタイルは、たとえそれが自分の身の回りにある事象を歌ったものであっても表現において人々から遠ざけられなければならない運命にあったといえる。教室で短歌を学ぶのは言語の文化的価値を知る、ということが第一義であり、表現者を育てることが目的では決してなかった。もちろん、時代に変化に伴い、歌の形式を革新しようとする動きもあり、俵万智もそうした機運の中で育てられ、認められた歌人だったのであるが。

俵は当時県立高校で駆け出しの国語教師をしており、早稲田大学三年時より佐々木幸綱に師事して作歌を始め、時期を置かず投稿した作品が次々と注目を集めていた。佐々木は歌の家に生まれ、伝統的な和歌の形式に通暁しながら、現代の感覚に合った題材を口語で表現し、短歌の可能性を追究している歌人である。

 俺の子供が欲しいなんていってたくせに! 馬鹿野郎!  1970「郡黎」より

 サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず   同

 ジャージーの汗滲むボール横抱きに吾駆けぬけよ吾の男よ 1971「男魂歌」より

 のぼり坂のペダル踏みつつ子は叫ぶ 「まっすぐ?」そうだ、どんどんのぼれ
                        1989「金色の獅子」より 

 初めの歌は佐々木が1963年早稲田大学大学院在学時に現代短歌シンポジウムに出品され、注目を浴びた作品。以下、作歌の時系列に並べたが、いずれも佐々木幸綱の代表作である。「のぼり坂」は「サラダ記念日」とほぼ同時期の作品。例えば「サキサキと」の歌は、押韻、題材の点で共通する。少女を愛する純な青年の心が清新な韻律と視覚的イメージによって見事に伝えられている秀歌だ。愛唱性もあるのだが、比較すると「サラダ記念日」の方は表現が身近であり、語の呼ぶ連想「結婚―」のリアルさなどからも、より現代的な象徴的表現に成功していると言えるだろう。佐々木の作品は「サキサキ」の語感の清冽さ、「理由はいらず」という断定による少女に対するストレートな愛情が飾りなく率直に表現されている一方、擬音の語感に独自の詩情があり、「噛みいて」「あどけなき」「汝」と文語表現が重なることで、それはもちろん魅力的な優れた表現ではあるのだが、現代の一般の人々が触れる日常の言語感覚とはやはり一線を画すと言える。
 「サラダ記念日」の俵作品には語彙選択の大胆さが卓抜なものが多い。

「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの 

 大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋   

 親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト

 出席簿、紺のブレザー空に投げ週末はかわいい女になろう

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

「缶チューハイ」「東急ハンズ」のような商標や流行歌手の名前などが14首あり、カタカナの固有名詞もとても多い。「勝手に赤い」は志村けんの「カラスの勝手でしょ」を連想する。「寒いね」のように、詩として決して発想が凡庸とは言えないが、思ったままを言葉にしていいんだ、と人々に思わせ、読者カード欄に4万人から20万首の歌が寄せられた。80年代の作者の生活実感を率直に表現すると同時にバブル経済の浮き立った世相を反映し、豊かで楽観的で自由で明るく、ふわりと軽い雰囲気を持つこの作品が同年代に爆発的に読まれた背景には、歌いぶりがその内容を表現するに相応しく、時代の雰囲気を敏感に感じ取って言葉として差し出して見せたことに共感が集まったということがあるだろう。現代はどうか。収入が少ないから結婚はできないと考える若者がおり、教員の仕事は今やブラックで、週末に解放されることもない。当然このような歌が共感を持って読まれることも少なくなっただろう。一方で俵の蒔いた種は時を経て万葉集的歌の心を開花させ、現代の文脈で新しい歌が生まれている。殊に若い人々への影響という点で文学史的な意義を持つ。その年代にしか表現し得ない、言葉にしなければ消えてしまう心の内を明確に遺す手段として与え、今も与え続けているからである。ここに作者は短歌の口承性についての新しい可能性を開いたといえる。次は06から22年までの高校生の作品。


「眩しいね」「猛暑日だもんね」そうじゃないあなたの笑顔と光る汗だよ 
                                 但馬 凛

 僕たちの一生分のどれだけの声を形にできるだろうか      本間健汰  

 故郷(ふるさと)といつの日か呼ぶこの土地が今の僕には少し狭くて 嘉村あゆみ


 俵はあとがきで「なんてことない毎日のなかから一首でもいい歌をつくっていき
たい。それはすなわち一生懸命生きて行きたいと言うことだ。」と言う。

 
 
 揃(そろ)えられ主人の帰り待っている飛び降りたこと知らぬ革靴  鳥居

 IKEAへとあなたと入る瞬間に微笑みながら消滅したい       谷川電話


高校生歌人鳥居の歌を通して人々は孤独とその向こうに冷酷な社会の姿を見るだろう。谷川電話は「東急ハンズ」の歌を思わせるが現代に漂う不安を纏わせ、俵の歌とは一味違う。しかしいずれも、「等身大のいま」をうたうことでそれを確かに生きることの表現となっている。その端緒に「サラダ記念日」はある。短歌が未来につながる表現を得るために口語の、時代を映すリアルな言葉が待たれ、その機運の中で誕生し、そこに多くの若者が連なったものとして。

                           





参考文献

・『サラダ記念日』俵万智 河出書房新社  1987

・『歌集 郡黎』佐佐木幸綱 短歌新聞社文庫  短歌新聞社 2005

・『男魂歌 合同歌集』 竹柏出版会 1971

・『金色の獅子 佐々木幸綱歌集』 佐々木幸綱 雁書館 1989

・『言葉のゆくえ 俳句短歌の招待席』 坪内稔典 永田和宏 京都新聞出版社 2004

・『キリンの子』鳥居   KADOKAWA/アスキー・メディアワークス 2016

・恋人不死身記  谷川電話  書肆侃侃房 2017

・『短歌研究』 短歌研究社 2022 10月号

・短歌甲子園HP  https://www.city.morioka.iwate.jp/shisei/machizukuri/brand/1009739/index.html

・東洋大学 学生現代百人一HP https://www.toyo.ac.jp/socialpartnership/issyu/winning/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?