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ずっとあった違和感について

🌱✨✨

先日、とある学生さんがヤングケアラーについて勉強しているということで、お話しをする機会があった。
その会話の中で彼は「ヤングケアラーだったことで得たもの(強み)は何ですか?」と質問をしてきた。
何やらこだわりがあるようで、「一番聞きたいことなんですけど」と付け足す。
どうしてそんなことを聞くのかと尋ねたら、「ヤングケアラーの子たちにも希望をもってほしいから」と答えてくれた。
 
たまんねえな。正直そう思った。
ヤングケアラーじゃない子が、「ヤングケアラーにも希望をもってほしい」と、元ヤングケアラーにケア経験で得たものを聞く。
それを教えてあげたい純粋な気持ちでいっぱいなのだろう。もしわたしがこの学生さんのクラスメイトだったら、「気持ちはありがたいけど放っておいてほしい」と願うだろう。
 
ところで、「ヤングケアラーだったことで得たもの(強み)」ってなんだろう。
人前で話すと、たまにこの質問をされることがある。
 
よくある答えは、「マルチタスクが得意」「思いやりがある」「気遣いができる」「観察眼が優れている」「調整役が得意」「人の心の変化に敏感」「時間管理・金銭管理が上手」「家事能力が高い」「病気や介護の知識が備わっている」「冷静」「客観視ができる」などではないだろうか。
 
ここらへんの回答をすると、「おお~!」みたいな反応が返ってくる。
たしかにその通りかもしれないが…。だが、違和感しかない。
だって、これってほかの子たちが部活をしたり、生徒会活動をしたり、留学したり、何かを通じて自ら能力を高めようと思って得るものとは全く違って、本人の意思とは関係なく半ば強制的に身につけざるを得なかったスキルなんだよね。
 
だから、「あなたは調整役が得意だからこの場(大体難しい)は頼むね~」とか、「介護の知識があるからこれからの社会に必要な人材よね(介護職として)」とかいうことではない。
だってそれは、全員が望んで身につけたスキルじゃないから。使うも使わないも、本人の自由だから。
 
逆にそういうスキルを身につけざるを得ない環境にいたからこそ、誰の顔色も窺わずにおなかを抱えて笑う時間が必要だし、人目を気にせずに自分が本当にしたいことを謳歌する必要があると思う。
むしろこれまではそういった選択肢がなさすぎて、いざやろうと思っても実行することすら困難だから、自分が本当に望む選択を自然にできるようなマインドを育てるカウンセリングや心理的サポートをしてほしい。
もうこれ以上しんどい思いしなくていいから、ただ楽しく生きてほしい。切実にそう思う。
 
「今までこうだったから、その経験を活かして…」
それを望む人はそうすればいいけど、本来あるべき社会としては「今までこうだったんだから、これからはその分も自由に…」と言ってほしい。
「こんなスキルを得られてよかった!」も「そんなん知ったこっちゃないわ」も、あくまで決めるのは本人の気持ちだ。どっちが良いも悪いもない。

周りが「得られるもの」として定義づけることで、「そうあらねば」、「それを活かさなくちゃ」と思う人がどうかどうかいませんように。

誰かの役に立っても立たなくても、わたしたちの価値は変わらない。
わたしたちはどこまでも自由。そう自分にも言い聞かせている。
 

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