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孤独の人ー「監督の物語、最終章を迎える覚悟」と大観衆の前で語った新庄剛志監督。エスコンフィールド開場年、ホーム最終戦、大勝に本当の希望はあるのか。

「僕も来年ね、3年目です。勝負の年です。新庄剛志監督という名の物語、最終章を迎える覚悟で、死ぬ気で、本気で、戦っていきます!応援よろしくお願いします!」

 不思議な言葉である。
「新庄剛志監督という名の物語」
「新庄剛志監督の物語」ではなくて「新庄剛志監督という名の物語」。

単なる言葉の問題。深読みは禁物。

新庄さんは、緊張していた。前日は監督就任の会見を開きながら、千葉ロッテマリーンズに敗戦。今季の最下位も確定していた。(リンクできてませんが「前日から緊張で眠れなかった。試合が終わったあとは足がふらついた」と話している記事があった。)

どの面を下げて続投するのか。
2年連続最下位の責任を取れ。
来年も最下位だ。

就任会見のネット記事には、こんなコメントがいっぱいだったし。
もしも、自分が最後に挨拶しなければならない最終戦で負けたらどうしようと心配で仕方なかったのではないか。

 結果的には9対2の大勝。今シーズンやられてきたマリーンズにも復讐できたし(俺にもまだ運がある)と感じていたかもしれない。
松本剛選手会長の緊張しながらも立派な内容の挨拶が終わり、いざ新庄監督の挨拶。多分、こんなふうに「普通の挨拶」をするのは、監督就任以来、はじめてのことだ。
 やはり過度に緊張している。言葉が出てこないようだった。
「ふーっ」とため息をついたら、球場がわっと笑い声で湧いた。

受ける、大丈夫だ と思った瞬間から「新庄節」とやら。
「新庄剛志監督という名の物語。最終章を迎える覚悟」
「万波中正にホームラン王取らせます!」

主語が、全て自分、「俺」である。
「万波がホームラン王になるのを見届けてください」ではない、あくまでも「俺が取らせる」のを見ててください。

言葉の問題だが、言葉の問題ではない。

彼に見えているのは、常に「俺」と「世界」でしかない。
それは自己中心的だとは言い切れない。
そういう風にしか、他者や社会との距離感が取れないのだと想像する。
そして、彼にとって、本当の味方は、いないんだなと思った。

ファイターズ監督就任以来、彼の言葉は変遷を続ける。
「BIGBOSSと呼んでください!」
世間を席巻し賑わせ、ファンは熱狂、大歓迎。
「BIG BOSS!BIG BOSS!」の大合唱だったが、終わってみれば最下位のオフシーズン。
「BIG BOSSってなんかちゃらいよね。本当は嫌だったの」
と本意ではなかった。営業的な人気取りのため注目を集めるため、仕方なくやったというニュアンスを出していた。本当は嫌だったの?

「優勝なんか目指しません!」でも「毎日コツコツ一つ一つ勝っていき、9月になって可能性があったら目指すもの」ーと語ったが。
「初めから勝てる戦力ではないと思っていたから」と釈明した。
オフシーズン、主力の近藤健介がFA移籍する。「金のため!」とファンに揶揄されていたが、それが本当の要因とは、到底思われない。
「初めから勝てない戦力」と決めつけられていたチームの選手会長は、初めから勝とうとしていたのだから。

2023年のシーズン前には、
「日本一だけを目指します!」
「優勝しか目指しません!2位だったら監督を辞める覚悟で挑む!」
と宣言していた。
シーズン途中から、いっさいそのような言葉は出ず、あったこともなかったようになり「成長中だから」「経験がないから」「練習しかない」最後は「この2年は土台作り」と締めくくる。2位じゃなかったし?

シーズン前の宣言は、「選手に優勝するために戦う意識を持ってもらいたかったから」と、これも後から述べていた。

アドバルーンを盛大に上げて期待を集め、失敗したら「実は本当の意図はこうだった」と前提をずらして煙に巻くのは、言ったら詐欺師のやり方である。

しかし、だからと言って新庄さんは詐欺師ではない(と言っておく)。
心情的に、あるべき社会人としての倫理観も含めて、彼の2年間における言動に傷つく、怒りと憤りを感ずる、わたしのようなタイプは、ファイターズが強くなる、良いチームになる「野球の監督」として、彼を信頼しようとするファンなのであり、だから裏切られたと感ずるのだ。

そうでない、例えばそもそも「新庄剛志というキャラクター」のファンにとっては、裏切りでもなんでもなく「そうそう!それが新庄なのよ!」となって楽しめることになるし。
 ことさら経営的には(本当に儲かってるのかわからないが)エスコンに集客がありメディアの露出も多く、人気もある。実利がありさえすれば、新庄さんの言動など、ほとんどどうでもよい、むしろ話題になっていいくらいのものだろう。

新庄さん本人の気持ちなど、わかるはずもない。
が、彼は自分に与えられた仕事をあーでもないこーでもないとその時、その時、周囲に「受け入れられそうだ」と感ずる言動を振りまく(野球の試合、采配に関してもほぼ同じだけど)

それでいいんでしょ?
みんなは、それがいいんでしょ?
なら俺はそうするよ。

責任は、いつも彼の周辺に浮かんであるだけだ。(つまり誰も責任を取らない)。

新庄さんの中に、いつも自分自身で出した答えはない、のではないか。
「俺」と「世界」との関わりの中で、善意で解釈すれば「俺」の出来ることで「みんなのため」になることを探し。悪意で解釈すれば他者を利用して「俺」が、生き残る策を探す。

新庄剛志、この世に一人ぼっち。

舞い戻り、揺蕩うプロ野球の世界で。
たった一人の「新庄剛志監督という名の物語」を創作する。
それは彼のやりたいことならば、やればいい。

でも、わたしが読みたいものは違う。
わたしは読みたい。
「ファイターズというチームの物語」を。











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