思春期少女の心の旅ーオギリマサホ『斜め下からカープ論』(文春文庫)ー
オギリマサホーという文字の並びを初めて見たのは、昨年ー2018年のことである。ツイッターで展開されている掟破りの野球コラムアカウントー
「文春野球」の中にみつけた。不思議なイラストが添えられた、広島カープに関するコラムの作者の名前だった。
オギリマサホ…どこまで苗字でどっから名前なんだろう…。
オギリ マサホ? オギ リマサホ? オギ・リ・マサホ?
おそらくは、オギリマ サホさんだと思うが、本当のところの正解はわからない。だっていつも表記は、オギリマサホだから。
男性か女性かも、その文字列からは読み取れない。独特の描線と空白で描かれる、無表情なイラストからも読み取れない。一貫して〜である体で書かれる軽妙な文体からも、同じくである。
野球への思いを様々な形で表現しあう、文春野球は基本的には「男の純情」の世界で出来上がっている。コミッショナーの村瀬さんを含め、主たるライターのみなさんが、そういう男性たちだからだ。一方、女性ライターもたくさんいる。彼女らは、わかりやすく女性視点からの表現になっている。人妻、女性ファン、女性アナウンサーとか。(だからと言って、そのコラムがいわゆる「女らしい」とみなされる内容だというわけではない。念の為)
その中で、オギリマサホのコラムは、異彩を放つ。「中性的」といういい方があるけれど、それとも違う。敢えて言えば「無性的」というやつだろうか。エロい意味でもエロくない意味でも性的なニュアンスを感じ取ることが、ほとんどできない。
ゆえに、わたしたちは、その作品ーイラストと文章が合体したコラムーを見るとなんとも知れない、体験したことのないような、微妙な感覚に陥る。
一体これってなんなんだろうか?
コラムを読みながら、あるときはゲラゲラ、あるときはクスクス、あるときは眉間にシワを寄せるようにじっくりと感銘しながら、わたしは不思議に思っていた。
前置きが長くなった。この度、そのオギリマサホさんの初出版、『斜め下からカープ論』が文春文庫から刊行された。前半は、文春野球コラムに掲載されたもの、後半は書き下ろしで、解説は、広島出身のカープファンで映画監督の西川美和さんが書かれている。
オギリマさんは1976年生まれとある。1990年からカープファンになったということだから、14歳。中学2年か3年生だったのだろう。
解説の西川さんの言葉にもあるが、そもそも広島に縁も所縁もなく、東京に住んでいる女子中学生(しかも女子校)が、90年当時の広島カープを熱心に応援し、深く愛するようになる確率は、相当低いと思われる。なんでプロ野球?しかもカープ?と読者にも思われるのかもしれない。
しかしながら、わたしには、ものすごくよくわかる事態だった。くしくもオギリマ誕生の年、1976年。わたしは14歳。北海道の片田舎の教室で。ただ一人、プロ野球ーしかも、近鉄バファローズファンの女の子であったのだから。
あーたバブルバリバリを経る90年代と70年代たら全然違うんだからね。70年代ったら西本幸雄監督の時代だからね。主戦打者は、栗橋とか石渡とか、阪急ブレーブスが強くてさあ。え?わかんねーって?だからそんな時代なんだからねっ。
オギリマさんも90年代の東京ではカープの情報はわずかしか手に入らなかったと語っているが、その向こうの大昔の北海道にはさらになんにもなかった。なのに、わたしは近鉄ファンになった。そして、乏しい情報の中から求めるものを一生懸命に探し、ファイルしたりメモしたり、録音したり(当時はビデオデッキはなかった!)して蓄積し、そして大好きな美男子スター島本講平選手をせっせとイラストに描き、なかんずく野球マンガも描こうとチャレンジしていた。
一方、バブル真っ盛りの東京で。「月刊ザ・カープ」に一人、イラストやマンガを投稿していたというオギリマ少女。あくまでも、わたしの想像にすぎない。でもどうしても重なりあってしまう。思春期女子の姿と心が。
オギリマさんの心はわからない。だから自分のことを言えば、中学生のわたしは、思春期をかなりにこじらせた偏屈な娘だった。その上、太っていて、ニキビだらけで、さらに剛毛の癖っ毛の三重苦で劣等感の塊で、そして反対側では超絶頑固な自尊心の塊で、14歳の時点では、心から好きなことを話せるような友達は、一人もいなかった。
いや本当はいたんだと思う。でも自分で「こんな自分には友達なんかできないんだ」と思い込んでいた、という方が正しいのだろう。56にもなれば遠くからそっと眺められる14歳だとしても。当時の自分にそんな客観性があるわけない。
どうせ誰にもわかってもらないのだから。誰にもわからないものを好きになる。「わたしだけが好き」だと思い込めるものを。見つけ出し、価値を作り出し、空想の牙城を固め、ほうっておけばボロリと壊れてしまいそうなー自我ーを守る。
マンガもアニメも小説も映画も、そしてプロ野球も、そうやって選んでいたような気がする。その蓄積は、年齢を重ねるに連れ、取捨選択、いづれかは忘れ去られたり、忘れがたく残り続けたり、変遷していく。
オギリマさんの少女時代は、果たしてどうだったのか。あくまでも想像することしかできないけれど。
大人になり、生きていく中で、それらの一見して無駄のようなものたちは、しかし折に触れ、何事かが身に降りかかるとき、必ず自分を助けてくれる。そう確信するようになったのは、50を過ぎてからのことである。
大事なことは「好き」ということだけだ。嫌いだったことは、自分を助けてはくれない。何かを愛するということは、生きようとする力を支えてくれるものなのだ。人間にとって、他者と繋がり得る<愛情>が、ほんのわずかでも身体感覚の根本になければ、生き伸びることが困難になるのと多分、それは重なっている。
東京の片隅で、14歳のオギリマ少女は、自分の力で愛するものを見つけ、表現しようとしていた。周りにカープファンがいてもいなくても。きっと良かった。
その道筋は、時を経て、やはり彼女を助ける。
本書を手に取る方は、「あとがき」のラスト一行まで、きっとたどり着いていただきたい。その一行から、逆算して、オギリマサホの現在はある。
淡々とした描線、微妙で不思議な間と空白のイラストレーション。である体の軽妙な文体が醸し出すー無性的な感覚ーは、どのようにして生まれ、育ってきたのか。
オギリマサホの字の並びと同じく、謎と興味はつきない。
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