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我が家のキリボチダイコン

長女4歳。
幼稚園の面接にて。
お決まりの質問が投げかけられた。
「好きな食べ物は何ですか?」

可愛らしく両サイドでセーラームーンのように髪を結い、私の手作りワンピースを来た娘は、髪の毛を揺らして「えーと」 と天井を見上げ考えていた。
隣に紺のスーツ姿で背筋を伸ばし、品の良いていで座る私。小首を傾け、ぽわんと天井を見上げ静止している娘に、決して急かすことなどせずに、優しい母の眼差しを崩さずに待つ。窓の向こうには、同じようにぽわんした雲が浮いていた。

ハンバーグにするかカレーにするか迷っているのだろうか。もしくは最近はまっているアポロチョコなんて言っちゃうかも。どんな可愛い答えがでるのかと根気強く待つ。
娘は天井を見上げたまま答えた。そこに書いてありました、というような表情で。

「キ リ ボ チ ダイコン」

言葉がつたないけれど、耳に届いたのはあの切り干し大根のことだろう。
大根を薄く切って燦々とした太陽の下で シナシナに干し上がった、あの大根のことだ。
そこくるか。なかなか渋いところいったね、娘よ。思いもよらない返答に驚く私。

ほんの数秒の間があいたのち、先生は「ああ切り干し大根ね、体にいいもんね」と笑顔で娘に返答していた。子ども相手の職業だから、突飛な返答には慣れっこだろう。しかしながら、美味しいもんね、ではなく体にいいもんね、というあたりに咄嗟の苦しさが垣間見え、ほんの数秒見せた「えっ?何て?」という先生の困惑したような、もしくは笑いをこらえたような表情も、私の脳裏にしっかりと残った。

当時、切り干し大根の煮物は 私の母であり娘の祖母が作っていたもの。完全に、ばあちゃん料理である。
好きな食べ物に母の手料理ではなく、ばあちゃんの手料理を選んだ娘。これはばあちゃんが喜ぶに違いない、と家に帰るなりすぐ報告した。もちろん面接時の娘の様子を再現して聞かせた。自転車で10分程度の場所に住んでいたばあちゃんは、してやったりといういわゆるどや顔でやってきて、その日切り干し大根の煮物を大量に作ってくれた。

まあ、美味しいんだ、これが。
4歳女子にも認められるほどに。

以来、我が家では切り干し大根を「キリボチダイコン」と言う。天井を見上げながら、ぽわんと呟くのがコツだ。キリボチダイコンは伝説の食べ物に成り上がった。

娘が好きな食べ物ならばと私も受け継ぐ努力をする。けれど、レシピはない。
母いわく「簡単よ、ただの煮物だから」と教えてくれたのは、これをこのくらい、それをそのくらい、てなぐあい。感覚で覚えるしかない。特に出汁から作っているわけでも特別な隠し味があるわけでもなかった。それなのに何故。あれから20年以上、数えきれないほど何度も作ったけれども、結局いまだ受け継ぐことは出来ていない。何かが違う。
母の味にはかなわず、決して同じようにはならないのだった。

ご飯支度を苦としない母と、いかにしてご飯支度の手を抜くかを考えている私との決定的な違い。料理に対する意識の差が生じるズレなのか。

しばらくして私は開きなおる。煮物ではなく違うものを作ろう、と。娘の好きな素材で何か。
ある日作ったキリボチダイコンサラダが好評だった。それをいいことに、気付けば煮物よりもサラダを作ることのほうが多くなる。 なんていったって、水で戻して材料をそろえて調味料を合わせるだけで簡単に出来るし。

その超簡単レシピで出来上がるキリボチダイコンサラダは、なんと母の味として 娘のお気に入りの一品へと成長した。
家を出る際、このサラダ何入れてるの?作り方覚えておかないとな、と言った娘に「簡単よ、まぜるだけだから」
これをこのくらい、それをそのくらい、と教えている自分に笑った。

娘よ、手間ひまかけたばあちゃんの煮物と、ズボラ母の簡単サラダとを、どうか味覚を頼りに再現できることを願っている。



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