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豪雨の思い出

ひっきりなしに続く雷と猛烈な雨。
今日は円山の方へ行き、そのあとフラワーカーペットを見て帰る予定だった。この豪雨では無理なので予定を変更し、ゆっくり家で過ごすことにする。
こんなふうに簡単に変更できる計画ならいいが、そうもいかない場合もある。航空券もホテルも支払い済み、休みも合わせた、そんなとき。



その日はカナダへ旅立つ予定だった。
前日、天気予報を見て飛行機が飛ばないのでは、と心配しながら12時過ぎに就寝。したのも束の間、3時頃にけたたましく鳴り響くスマートフォンで目覚める。
「災害避難警報」
真夜中に情報収集をする。
娘の部屋でも鳴り響いており、さすがに眠れてはいないようだった。

朝一番の飛行機に乗る予定だった。
朝が近づくにつれ、信じられないような映像が増えていく。近くの川が氾濫。見慣れた道路が冠水。

それでも予定変更という選択肢はなかった。
成田は快晴。そこからの飛行機は平常通り飛ぶのだ。

新千歳空港までは普段JRを利用する。最寄り駅までは徒歩圏内。ただJR、動くだろうか。まだ始発前で情報はない。
どちらにしても大きなスーツケースを持ってゲリラ豪雨の中を歩くのは無理がある。最寄り駅まででも、万が一JRが動かない時は空港まででも使うしかない。そう思い早朝からタクシー会社に電話を入れた。
虚しくツーツーと通話中の機械音が繰り返されるのみで繋がらない。何度も何度も繰り返しても繋がらない。
始発時間。案の定JR動かず。空港行きバス、遅延。タクシー会社にはいくらかけても繋がらない。
焦り始める私と不安そうな娘。もはや移動手段は自家用車という選択肢しかなかった。

私は雨の日や夜の運転は好きではない。もともと好んで遠くへ運転するタイプでもない。しかも行きはまだしも、帰りに空港へ降り立ちほっとしているところを、夜道運転して帰るなんて考えたくない。更に当時は、10年越えのそろそろ買い替え時よ、カーナビなしよ、という車に乗っていた。
だが、空港までの経路と駐車場の場所を確認し、停めっぱなしの料金を確認し、最後にもう一度タクシー会社に電話して繋がらないのを確認し、車ならばもう家をでなければ間に合わない、仕方ないとようやく覚悟を決めた。

道路冠水の映像、不要不急の外出は避けてくださいとのアナウンサーの声を背に、この悪天候、自分の運転技術で大丈夫かと不安ばかりを募らせて、私と娘は大きなスーツケースを車に乗せ出発した。
何としてでも空港まで行かなくては。
車内でも災害避難警報が繰り返し鳴り続けた。水溜りの続く道路を、ホースの水をかけられているようなフロントガラスに目を凝らし注意深く運転する隣で、娘が心配そうにしていた。

なんとか空港が見えてきてホッとしたそのとき、駐車場へ向かうトンネル内は完全に冠水していた。娘とふたりで思わず悲鳴をあげる。前を行く車が沈んでいく恐怖。タイヤはすべてうまっている。いいの?ここ通って。大丈夫?でも、そのあとをついて行かなければたどり着かない。後ろからも車。みんな行くけど、怖い。隣の車線を走っていた前の車が停止した?追い越す。隣の車が水の中で完全に停まっているように見える。無事冠水をぬけたけれども、あの車大丈夫だったかしら。

駐車場に到着し娘とスーツケースを入り口付近で下ろす。それだけでびしょ濡れになる。車を停めたあと違和感を感じ確認すると、フロントバンパー下のゴムが半分以上はずれていた。仕方ない。この車も半分泳いだようなものだから。その場で全部はずして後部座席へ突っ込む。傘をさして娘の待つ入り口へ。その数分でひどく水浸し。入り口で傘を捨て、無事搭乗手続きを済ませる。空港も運休が多く見受けられたが、私たちの乗る成田行きは遅延。海外へ接続するためか運休にはならないようだった。
あとは待つだけ。
びしょ濡れの靴下を取りかえ、靴の中にティッシュを入れて乾かしながら、待つ。避難警報のなる中、旅行へ向かう母娘ってどうよ、とふたりで話しながら。
ロビーにはテレビの豪雨被害が流れ、時折スマホの警報音がいっせいに響き、人々はそれぞれ無口でそれを確認していた。
窓に激しく打ちつける雨の中、静かな出発ロビーだった。
3時間程で小降りになり、出発のアナウンスが流れる。まだ湿った靴を履き私は立ち上がった。

どうしてもキャンセルできない予定もある。その判断は完全に個人的なものだけれど。
今、旅行のために空港へ向かっている人だってきっといるはず。と猛烈に降る雨を見ながら思い巡らす。






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