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私が書いた物語のなかから(15)「桜、まだ咲かぬ」より

 拙書「桜、まだ咲かぬ」をデジタル発行したのが2018年11月のことでした。作品紹介では「戦後まもなくの京都・太秦。戦後という新しい時代に翻弄される復員兵・斎藤清太郎だったが、やがて仲間たちと、新しい時代に向けた映画作りに向け走り始める。戦後まもなくの映画人たちから、我々が託されたはずの映画作りの魂を、熱情豊かに描いた作品です。」としました。
 実家のあった京都・太秦を舞台にして、いつの日か物語を書いてみたいと初めて思ったのが高校三年生のころでした。もちろん、社会経験に乏しい私が、人の心のありようを物語に描けるわけはありませんでした。 
 大学生になりジャーナリズムを学ぶなかで、戦後間もなくの「復員者」の報道に興味を持ち、敗戦の1945年8月15日から朝鮮戦争が始まる1950年6月25日までの期間に発行された新聞各紙のマイクロフィルムを丹念に調べてました。(やがて大学院の修士論文となります)
 社会人になり、戦後間もなくの復員兵となった若い映画監督が映画作りをするとして、どのような心情だったのか、そしてその背景にある時代精神はどのようなものだったか等を、時間があれば調べたり、思い描いたりしていました。
 その一つが、次の台詞として結実しました。
 主人公の若き映画監督の斎藤清太郎が「戦後の映画」を撮りたいという話を聴いた東松撮影所の渡辺所長の言葉です。GHQの占領下で難しい状況にあって、渡辺所長は次のように語ります。
 「それは、映画を撮る我々に『志』があるかどうかだ。我々が『志』を持たず卑しいだけなら、これからの映画は卑しさありきの歴史を刻むだろう。今が肝心だ。興行成績が良いこと、儲かることは当然だ。興行収入は多くの観客が楽しんでくれた証しだ。しかし、だ。卑しさをまとった映画を作り続ければ、この先、二十世紀が終わり二十一世紀を迎え、何が残されていくのだろうかと考えていた。そんな時、清太郎君が、斉藤清太郎君が映画を作りたいとやって来た。彼と話をしたが、彼の企画は、戦後に放り出された我々が取り組むべき作品になると思ったんだ。高瀬川今日子も大変な思いをしているようだが、清太郎君が言う通り、これからの時代を作る女優の顔つきになってきたと思う。彼らの立ち姿に清々しいものを感じる。後は、佐田君、あなたが助言し、『良い映画』を作り上げるのを約束してくれるなら、私は承諾したい。もちろん本社とかけ合う大仕事があるが」
 あと10年もすれば、実戦争体験者はこの世にはいなくなると思います。いつの日か、本作を映画化できればと願っています。
 Amazon等主要デジタル・ブック・ストアで販売されていますので、ぜひお読みください。また、紙本はBCCKSにて購入可能となっています。
https://bccks.jp/bcck/157071/info
中嶋雷太

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