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「見えないを見る」を終えて:日本民藝館 古屋真弓さん

2020年2月に、当時在学していた国際基督教大学で開催したイベント「見えないを見る〜衣・食・住・エネルギーから探る、これからの暮らし」。イベント後に参加者から寄せられた質問を中心に、4人の登壇者に事後インタビューを実施しました。
4人目は、「住」の分野でご登壇いただいた日本民芸館の古屋真弓さんです。

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民藝は「生活をうつす鏡」

ーーイベントでも民藝についてたくさんお話いただきましたが、民藝の方向性や未来について伺います。ただの観賞用にならない、実用性の維持はできるのでしょうか。

古屋:実用性の維持はできると思っています。民藝の方向性は「ただの観賞用」にはそもそもならない、実用性がなければ工芸ではないですから。実際、現在でも多くの作り手さんがいて、それぞれに苦労はありながらも作り続けています。どの分野もどの地域も問題なく制作が続けられている、というわけではないのも現実です。 

毎年日本民藝館では「日本民藝館展」という新作公募展を開催していますが、陶磁器、染め、織り、ガラス、木工、編組、紙、金工、人形など、あらゆる分野の現代の作り手からの応募があって。入選作は購入できるということもあって、展覧会の初日には行列ができるほどの人気です。

工程の一部に機械が導入されたり、作られる物の形などが長い年月で少しずつ変わっていくことはあると思いますが、例えばコロナ禍で家で過ごす時間が増えたときに、お菓子やパン、裁縫、家庭菜園などを始める人がとても多かったそうですが、自然に向けて「手」を動かすこと、自然素材を使って「手」から生み出されたものを欲する・・・。これは、人間の生きていく上での自然な欲求、本能的なものではないでしょうか。
 
その上で、ちょっとご質問の意図とは離れてしまうかもしれませんが、どう「生活」するか、どんな日常を望むかということは、一人一人がちょっと立ち止まって考えることが必要かなと思います。民藝は生活の鏡、生活をうつすものだなと感じています。

そうそう、コロナ禍で各地にいらっしゃる作り手さんがどうされているか心配で連絡をとったのですが、普段から工房にこもってるから変わらず誰にも会わんよ、とか、まぁ、やれることをやるだけだから毎日手を動かしてますわー、などと、とても頼もしかったです。一方で、同じコロナ禍で楽観視はとてもできない、どう希望を持っていいのかわからない、という作り手さんがいるのも現実ですね。

次の質問につながりますけど、感性を磨く、というのは陳腐な言い回しのようですけど、とても基本的で重要なことだと、皆さんの感性が民藝の方向性をすら決めるような気がします。

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直観で見る

ーーでは、その感性はどのように磨かれていくのでしょうか?

古屋:民藝では、直観が重要です。知識や情報でものの良し悪しを判断するのではなくて、まずは直観で見ましょう、と。直に感じる心、ですよね。これは、ものを見るときについてだけではないなと思っています。難しいですね、直観でどうわかるの?という疑問も湧いてきますよね。

ただ、自分の中に引き出しをたくさん持つこと、経験値を高めることを繰り返していくと感性は磨かれますよね。トークの中で鞍田さんが、色々なできごとを「自分ごとにする」っていうお話をされていましたが、「自分ごと」として他人のこと、社会のこと、農業のこと、エネルギーのことを考えたり「見えないを見る」ためにも、感性は重要ですね。
自然エネルギーの話をされた井上さんが、「どれだけ自然エネルギーが良いかを説明しても、その地域住民の方がそう感じてくれなかったら意味がない。感性の話は本当に重要だなと思った」とおっしゃってくれましたが、まさに、だと思います。
 
具体的にどうしたらいいの?と思っていらっしゃる方には、まず、日常で使ううつわや道具、ひとつでもいいから、「あー、愛おしい」と思うものを買って使ってみることから始めたらどうでしょうか。お気に入りになるようなものを買って。できれば手で作られていて、自然の特性を生かしたもので、言葉ではうまく説明できないくても、「美しい!」って思うもの。そういうものを使ってみると、見えないものがが少しずつ見えてきますよ。

--なるほど。全体トークセッションではスマートフォンに対する危機感を話されていましたが、感性の話とも繋がりますか?

古屋:スマホに関しては、ツールとして使いこなす、主体的に使っているのであれば問題ないと思いますけど、世界を見回してみても、日本人のスマホ依存度はかなり高いなと思います。自分で考える前にスマホで検索とか、暇さえあればスマホを開くという状況が蔓延してますよね。

スマホの中ではなんでも見られて視野も広がっていると思っているかもしれないけど、実際の身の回りに関する関心や現実感が乏しくなっているなー、と。それは、仕事でヨーロッパに行った時に強く思いました。その上で、海外の友人たちと話をすると、東京に来て電車の異様な光景にびっくりしたという声もあり・・・便利なツールではありますけどね、あくまで道具ですよね。経験値は高まらないし、太田さんもおっしゃってましたけど、思考停止しないで、自分の頭で考えるっていう一拍を持ちたいですね。私は、「時代遅れの人」なのかも(笑)。

お金を遣うのは、投票

ーーありがとうございます。では最後に、4名の登壇者共通の質問が来ています。古屋さんにとって、「お金を稼ぐ」とはどんな意味がありますか。

古屋:お金のためにだけ働いている、という気持ちはないですけど、現実的にはお金は不可欠な社会ですよね。子どもも育てているので、彼に対する責任というか「養わなきゃ」っていう思いはあります。お金をもらって仕事をするので、それはいつもどこかで意識をしているかも。趣味でも好き勝手にやっているわけではないということを・・・。
でも不思議と、お金ではない何かで対価が支払われたときの方が嬉しかったりしますね。
 
あと、高校生のときに「グリーンコンシューマー(※環境に配慮した商品・サービスを選ぶ消費者)」という言葉を知って以来、お金をどう遣うか、ということもとても意識してます。

何をどこで買うか、食べるか。完璧主義にやろうとすると無理が出てしまうので、あくまでできる範囲ですけど、お金を遣うのは、投票するような気持ちです。

ーー共感します。古屋さん、本日はありがとうございました!

(メールインタビュー:臼井里奈)

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