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眠れない夜の話

昔、水泳が苦手だった。苦手だったけど潜水は得意だった。家のお風呂でずっと息を止める練習をしていたから。苦しくなるまで我慢して、そのあと顔を出したときの爽快感が好きだった。今感じる、物理的な呼吸しずらさに比べたらお風呂の中で息を止めていた時のほうがいくらでも心地よかったように思う。

昔受けたワークショップの内容を最近とても凄くよく反芻する。擬音を体現するワークショップだった。私はほかの参加者さんの擬音を一発であてられるのに、私の擬音の体現したものはなかなかあててもらえなかった。その時に私は「相手のことはよく読み取れる(またはその努力ができる)けれど、私は伝え方が下手糞なのでよく読み取るということをしてもらえないんだ」とはっきり思ったのを覚えている。正直、地獄なんじゃないかと思った。相手のことばかり慮れてしまうなんて損ばかりだ。

それでも自分なりに信じている信条というものがあって、昔に読んだ赤川次郎先生の三姉妹探偵団に出てくる長女の確か綾子のセリフで、「人には役割ってものがあって、その役割から外れようとするとね、よくないことが起きるんです。だから、損な役回りだとしてもそういう役割なの。だからそれはしょうがないって思うといいんだわ。」というようなことを言っていて、幼心ながら(読んだのは当時中学生か高校生)そうか、そういうものなのかと納得した。そのセリフは損な役回りを嘆く少女に向けられた言葉で、結果的に綾子の言葉を受け入れられなかった少女はその役回りから抜け出そうとしたときに犯人に殺されてしまっていた。そうか、そういうものなのかと納得した。いや、嘘かもしれない。

自分のキャパシティを測ることはいまだなれないし、それに沿っても動けない。自分の気持ちを吐露することだって苦手だ。文字の上でしか自由でいられない。それでも誰かの幸せのためにいつだって動ける人でいたい。苦手なことを目いっぱい抱えながら、それでも他人のために動きたくなるこの性分はきっと「損な役回り」で、でも「しょうがないって思うといいこと」で、でも苦手なままではじぶんのことを助けてあげられないんじゃないかと、それは不幸なんではないかと、そんなの本末転倒なんではないかと思う。

誰かの幸せであるという状態を見ているのが本当に楽しく幸せだ。これは、本当。でもたったこれだけの本当のために、抱えている苦手は「しょうがない」じゃ消えてくれない。


生ぬるい風を受けながら
この前入れたちょっと濃いめのアールグレイの水だし紅茶にあっためた牛乳とはちみつを入れてゆっくり飲みながら、今パソコン前に座ってます。


みなさん眠れてますか。
私は眠れていません。
眠いんだけど、やらなきゃいけないこともやりたいことも出来ません。      酷く心が沈んでいて、水の中にいるみたいです。最近は湿度がすごく高くて、歩いてる時にずっと水の中に居るみたいだなって思っています。あの時のお風呂とは違って、この水の中はすごく居心地が悪くて、進んでも進んでも前に進めなくてもどかしく感じることがとても多いです。


世界のどこか、不器用な人、どうか健やかに。

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