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Chapter1 遊びボーダー論


 サッカーの可能性に賭けてみたいよなて話には、僕が選手を諦めないのと同じように常に現在地とゴールを結びつける作業があって、その為にはそもそもサッカーの本質に迫らなければいけない。

 もちろんピッチで起こっていることについては、既に多くの人を魅了しているように、サッカーとは何かを言わずもがな体現していると言える。

 しかし、より本質について考えるためには、今サッカーにないものを見なければならないわけで、また、あっても見えていなければそれはないのと等しいので再発見されなければならない。そして、その作業はサッカー単体では辿り着けない。サッカーの外にあるもの、取り巻く環境との距離を測り、関係性を見る必要がある。

 そこで、僕は「フットボールの夢」を通して、様々な文脈の中でサッカーについて考えていこうと思う。僭越ながら。

 そういうわけで、先週の流れもあるので今週からは3週ぶち抜きで「遊び」特集。遊びの中にあるサッカー、サッカーの遊び。こんなテーマで3本の特集を組んだので、フォローしていってほしい。

 Chapter1は遊びのサッカーとして代表される、鳥かごというゲーム。そのゲーム性から、制限と逸脱について書いた。それは、マクロな視点で見る社会性だとかシステムに通じるものでもある。

 フットボールの夢、はじまります。


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 あと少しだ。

 きみは長い道のりを経て、ようやくゴールをすぐそこに見ている。これが終われば望んでいたものが手に入る。何度もミスを重ね、近づいては遠ざかって、だがもうここまで来た。

 あと数本パスを通せば、もしくは股下を1本通せば、それだけでいい。

 これは、サッカーの練習や遊びなんかでよく行われる鳥かごの話である。

 鳥かごとは、「鬼」がいて、それを囲って複数人でボールをパスで回すゲームだ。鬼にボールを奪われてはいけない。

 ルールは実に多岐にわたる。参加人数も3vs1から、5vs2や8vs3などと幅がある。鬼とパスを回す側がいればいいのだ。それ以外にも、回す側にタッチ制限を設けたり、パスの本数によって達成される成功報酬型のものもある。

 大学時代には、練習の前にいつも行われていた。基本的には5vs2で、25本のパスで「貯め」ができる。3個貯まると回す側の勝利。貯めるのには、それ以外に股抜き、鬼の間をパス2本などがある。更にルールは細分化され、また学年によって違っていたりもする。

 これはかなり仕込まれたゲームで、地域やコミュニティによってルールは全く異なる。

 しかし、その一方で鳥かごは、FCバルセロナが行う「ロンド」でも有名だし、カンボジアの裸足の子供達も同じ遊びをしている。


 鳥かごには、鬼に奪われないようにボールを回すという普遍的なルールがある。その他は、それぞれに合わせた独自の文化みたいなもので、かなり自発的によろしくやってる。

 ルールによって制限された世界が生まれる。ここからがあなたの国ですよと言われるのと同じように、縁取りをすることで輪郭がはっきりとしてくる。はい、鳥かごを始めますよ。

 ルールには従わなければいけない。なので、人々は自発的に独自のルールを設けることで、自分たちのコミュニティに共有された自由を手に入れる。ルールが共有されれば、そこには順応と安心がある。そして同時に、制限による息苦しさも感じるだろう。今日は晴れた空に良い心地だが、汗ばむ陽気だ。

 そこで、逸脱が生まれてくる。逸脱と言っても、それはささやかな反抗であり、ルールには従わなければならない。

 少し戻って、僕たちの鳥かごには四方をマーカーで区切った枠が設定されている。基本的にはその枠から回しは出てはいけない。しかし、これに反抗すべく僕たちは「外回し」と「浮き球」という逸脱を作った。それは、それぞれこうである。

 「外回し」は、パスがマーカーの外を回ってしまった時に、リターンパスによって同じマーカーの外からボールを返せば見逃されるというもの。

 「浮き球」は、マーカーより明らかに外を行くボールでも、浮いている間はボールが地面にワンバウンドするまでに返せば、これまたお見逃しである。

 そう、ここが遊びである。遊びとは、あなたも自動車教習所で始めに教わったように、ブレーキなどにも多少の余地を残している部分のことを言う。がちがちに固めてはいけない。あなたは早く運転したいのにうずうずしていて、その話を覚えてもいないかもしれないが。

 公式な試合の場では遊びは入り込まない。ワールドカップの決勝戦で、ポグバとムバッペは外回しをしない。

 つまり、逸脱こそが遊びであったのだ。しかし、それは皮肉にも制限によってかたどられた世界の中でのみ通用する。僕たちは反抗する素振りを見せつつも、その安心を提供しているスペースを守らなくてはいけない。

 そもそも世界をひっくり返そうなんて魂胆はないのかもしれない。ただ、遊びによって、その境界線の内と外とを行ったり来たりしながら自分たちの居場所を確認している。だからこそ遊びが日常から切り離されてはいけない、というかあり得ない話なのだ。


 サッカーにVARという監視の目が入ってきたり、観客の席が区分けされたりすることは、きっと必要から生まれたのだろうと思うし、今それについてとやかく言うつもりもない。

 ただ、息苦しいと思ったのなら、ささやかに反旗を翻すのだ。遊びで魅せろ。逸脱を楽しめ。もちろんやり方はきみ次第だ。


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 01「遊び」特集のChapter1はこんな感じです。とりあえず面白そうだなと思ったことから始めてるので形になるかはわかりませんが。やってくうちに、そうそうこれこれてなってく感じも、一緒に読みながら楽しんでいってください。

 先週から1週間、ベトナムのハノイからラオスはバンビエンとビエンチャンにかけて旅してるのでいい感じでゆるまってます。そこで読んだもの見たものも相まって、サッカーボールも転がって。

 というわけで、次回は街中にある遊び、サッカー。特に、ユニフォームについて。


 この記事のきっかけになった前回の記事はこちら。これからはしっかりバックナンバー携えよう。




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