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私が美術の先生になろうと思った理由

桜を外でスケッチしていたときに、ふと20歳の頃に付き合った彼のことを思い出した。
なぜそんなことを30も超えた今思い出すんだろう?と戸惑ったりもしたけれど、突き詰めていくうちに理由がわかった。
ひとつめは久しぶりに外でスケッチをしたことで美大浪人時代を思い出したこと(そのころ付き合っていた)、ふたつめは丁度春のこの時期にフラれたこと。
納得して思わず笑っちゃったけれども、浪人時代のしんどい時期を支えてもらった彼にはまず感謝している。

きっと30代に入り、結婚出産を経て子どもも1歳を超えたので、私の人生がひと段落して振り返る時期がやってきたのだなと思うことにした。

そんな不器用で苦い恋愛のこととかを思い出していた中で、自分が大学に進路を決めた時のことや、美術教育に携わろうと思ったきっかけなんかも同時に思い出したので、忘れないうちにここに書き留めておこうと思う。


美術への進路を決めたいきさつ

私が美術の進路を志したのは、中学生の時。
高校受験を控えていた時で、美術を進路にしたいと考えていた。
しかし地方に住んでいたため、高校の美術科などは通える距離になく、行くとすれば普通高校を経て美大という考えに。

我が家はお金持ちでもなかったため、両親からは高校は公立に進学できれば美大に進学してもいいという許可が出た。
高校は無事公立を合格したけれども、そのあと2浪することになり大変苦労をかけたのだけれども…。
親にも大変感謝している。


「眼差し」を教わった受験期

私は高校の美術の先生、そして高校から通い始めた美術系予備校ではじめてしっかりと学問としての美術を学ぶことになった。

そこでは1人ではなく複数で多数の先生から美術を通して物事を見る眼差しについて教わったが、その「眼差し」は今も私の人生の大切な部分を占めている。

特に私が進学を希望した日本画科は「写生」を基本として絵を描くことが受験生にとって必要不可欠になってくるため、予備校でも写生の基本を学んだ。

絵は奇をてらうものではなく、ありのままの自然を素直に描くことが大切なこと。
あれこれと飾り立てるのではなく、素直になって真っさらになった時に初めて自分の「個性」が見えてくること。

写生を基本とした絵作りに関しての姿勢は、生き方そのものについても教えてもらったと思っている。
今でも私の中の大切な指針だ。


どんな表現も受け止めてくれた大学時代

大学の教授方はみなさん懐が深く、どんな表現もまずは受け止めてくれた。
在学中に「こんなことしないほうがいいよ」という言葉はどの先生からも聞いたことはなかった。
先生方のどんな個性も受け止めてくれる深い懐にとても助けられ、おかげで表現には迷ったものの、制作に後ろ向きな考えを持たずに今まで来ることができたように思う

また、一方の先生からの評価が、また一方の先生からは全く反対の評価であったりなど、人それぞれの感じ方は全く違うということも学びのひとつだった。
自分が他者からどう見られているかと気にしていていた私は、いろんな捉え方をしてくれた先生方に自分の意思を強く持つことの大切さを教えてもらったと思っている。

自信を持って前に進むことができるようになれたことに感謝している


感謝の気持ちは次世代に渡すことで示す

自分も多くの先生方から教わってきたからこそ、感謝の気持ちを示したい。
恩返しといっていいものかわからないけれど、先生に直接返すものではなく、私が次世代にその思いを継いでいくことでその気持ちを示すことができるのではと思った。

公立の美術科の教員を経て、あまりの業務の多さに本来自分が志した気持ちを見失いつつあったけれど、今美術教室で改めて「美術の先生」として教え始めたことでまた当初の気持ちを思い出してきた。

忙しすぎて大変だったとはいえ、きっと教員になったことも今の私に大きくプラスに作用していると思う。

初心に立ち返ってもう一度、美術教育を学び直す。
子どもたちに美術の楽しさを教えながら、それと同時に自分も描きながら学びを深めていきたい。


自分も学びを深めながらもっと絵に没頭していく

自分自身も絵にもっともっと没頭していくことで、それをアウトプットして子どもたちに教えられることもあると思う。

自分が描き手として教えられることを与え、また子どもたちからの自由な発想にヒントを得てお互いに良い刺激を受け合いながら絵画の世界をより楽しんでいくことができればと思っている。


この記事は備忘録として、自分も時々振り返るためにまた見返したいと思う。

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